ひよこねこ

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知識の『総量』は等しい

 

私事で大変恐縮なのだが…

 

(そもそもブログというのは『私事』を書き連ねるものである)

 

僕は今、とある『資格』の勉強をしている

 

『勉強』を始めたのは2018年の11月

 

それから現在に至るまで、およそ1年と数か月

 

仕事をしながらなので、『毎日』とまではいかないが

 

1日3時間程度、勉強を継続していることになる

 

学生時代『勉強嫌い』だった僕にとって、これはあり得ないことだ

 

 

おととしの11月、「何か資格の勉強でもするか」とぼんやりと思い立ち

 

人生で初めて『資格』というものに興味を持ち、調べてみることにした

 

(僕の持っている資格といえば『剣道二段』と『書道五段』くらいのものだ)

 

調べてみて分かった(というか、何となく分かっていた)ことだが

 

世の中には、実に多種多様な『資格』や『検定』がある

 

誰もが一度は耳にしたことのあるメジャーなものから

 

聞いたこともないマイナーなものまで

 

『難易度』についても、まさにピンキリで

 

仕事に役に立つものから、どちらかというと『趣味』の範囲に含まれそうなものまで

 

即座に『年収アップ』に繋がるものから

 

その『肩書』を持っているだけではそれほど効果はなく

 

別のスキルと掛け合わせることで初めて意味を持つものまで

 

色んな資格があることを知った

 

 

そして、その膨大に存在する資格の中から僕が選んだのは

 

公認会計士』だった

 

 

皆さんは『公認会計士』という資格、あるいはその同名の職業をご存じだろうか?

 

『弁護士』『医者』と並び称される(言わずと知れた)

 

『日本三大難関資格』の一つである

 

だが僕は資格について調べてみるまで、それを知らなかった

 

公認会計士』と言葉自体は聞いたことはあったけれど

 

その資格がそれほどまでに難しいものとは、恥ずかしながら全く知らなかった

 

『会計』と名前がつく以上

 

「お金」や「商取引」に関係する資格であることくらいは想像できたが

 

経理の仕事をする上で、持っていればそれなりに『箔がつく』」

 

程度のものくらいに考えていた

 

だからこそ、『資格難易度ランキング』なんかで

 

トップクラスにランクインしているのを見て、少なからず驚いた

 

そして興味本位でクリックしてみた

 

そこには「会計資格の『最高峰』」と書かれていた

 

それで僕はより一層、興味を引かれた

 

というより、その響きは僕のツボに『ドンピシャ』だった

 

(昔から、漫画の『最強キャラ』や『チートキャラ』が好きだった)

 

そして僕はこう思った

 

それだけ難しい資格なら、きっと試験問題も『理解不能』なものだろう

 

それならば、どれだけ『理解不能』なのか見てみたい

 

それは「『東大の入試問題』を解けるはずもないのに、一度は見てみたい」

 

という感情に似ている

 

そして僕は早速、『公認会計士試験・短答式』

 

(一次試験と二次試験があり、一次は短答式で二次は論文式である)

 

の『過去問集』というものを本屋で取り寄せてみた

 

 

もちろん解けるはずもなく、問題文の『用語』の意味さえ解らず

 

何を訊かれているのかさえ意味不明だった

 

それでも少しばかりは、「こういう意味なんじゃないか?」と推測できるものもあって

 

勘とこれまでの人生で得た、わずかばかりの『会計的知識』を使って

 

とりあえず、ひと通り解いてみた

 

採点するまでもなく、もちろんほとんどが不正解

 

(いわゆる『選択問題』なので、デタラメに解答しても確率的に何問かは正解する)

 

そして、せめて『用語』の意味だけでも理解したいと思い

 

試験科目の一つである『企業法』のテキストをまた本屋で注文してそれを読み

 

続いて『監査論』のテキストを注文して…

 

と、そうしている内にすっかり『ドハマり』してしまい

 

今では家の本棚の一角を、会計士試験のテキストに占領されてしまっている

 

 

『簿記』という言葉の意味さえ知らず

 

(電卓の使い方を学ぶものだと思っていた

 

使ったことのないボタンがあるでしょ?それの正しい使い方について、とか)

 

『借方、貸方』なんて聞いたこともなかった僕が

 

『簿記三級』の勉強から始め、『二級』『一級』とステップアップし

 

今では『非支配株主に帰属する当期純損益』について考えている

 

 

新しい分野について学ぶと、それこそ世界が広がったみたいに

 

今までは目に留まることのなかった様々な情報が

 

まるで初めて姿形を得たみたいに、次々と目から、耳から流れ込んでくる

 

仕事で意味も分からずやっていたルーチンワーク

 

『取引』として、どう『仕訳』されるのかについて考え

 

勤め先の『売上』や『利益』がどのように認識されるのかについて考察し

 

『掛売』という言葉を聞いただけで、「『売掛金』として計上するのか」と楽しくなる

 

僕の目と耳は、今やすっかり『会計学』に浸食されている

 

 

とはいえ、未だ合格には至っておらず、まだまだその道は険しく遠いものだ

 

それでも毎日新たな知識が増え、これまでとは違った視点で物事が見れることが

 

ただただ、純粋に楽しい

 

なぜもっと早く『会計学』というものに出会わなかったのか少しばかり後悔しつつ

 

かといって学生時代に出会っていたとしても

 

やはり僕は今ほど興味を持つことはなかっただろう

 

『勉強嫌い』な僕が、なぜ誰に強制されるわけでもなく

 

嫌いなはずの『勉強』を継続できているのかというと

 

それはまさしく、『強制されない』環境にあるからだと思う

 

たとえ僕が明日から、『公認会計士』の勉強をやめたとして

 

誰に叱られるわけでもなく、僕自身がそれほど困るわけでもない

 

だからこそあくまで『趣味』として、『勉強』というより純粋な『学び』として

 

『自学』を維持できているのだと思う

 

 

さて、自分語りはこのくらいにしておいて

 

そもそも『公認会計士』はなぜそれほどまでに『難しい資格』と言われているのか

 

それについては主に『三つの要因』が考えられる

 

そして、それについて考えることで

 

我々が日々『勉強』というものについて抱いている認識と

 

『勉強以外』、つまり『趣味』や『娯楽』について抱いている認識

 

それらが実は同種のものでありながら、視点が少し違うだけで

 

本当は全く同じものだということについて

 

今回の記事では述べさせていただこうと思う

 

 

まず、『三つの要因』についてだが

・試験範囲が多様な内容に及び、範囲が膨大であること

・受験生が少なく、『テキスト』と呼べるものが市場に数少ないこと

・『会計基準』や『法律』に準拠し、それらは毎年少しずつ変化するものであること

 

それらは『公認会計士試験』が難しいとされる要因でありながら

 

同時に『独学不可能』と言われる要因でもある

 

かくいう僕は、『不可能』と言われる『独学』で試験に臨もうと思っている者だが

 

それについても、やはり僕の「漫画的に好きな展開」に影響を受けている

 

「不可能だからこそ、達成したらスゴイ」という単純な思考で

 

「直接手を出さず、『覇気』だけで相手を倒す」みたいな感じだ

 

 

また少し話が逸れつつあるが…

 

つまりは「難易度の高い試験」というのには、やはりそれなりの理由があるのだ

 

だが、ここでちょっと待ってほしい

 

 

以上に挙げた、『難関資格』である『公認会計士試験』が難しい要因についてだが

 

一般的に『勉強』と呼ばれる分野においては

 

他のジャンル及び科目においても確かにそうだろうが

 

あるいは『趣味』や『娯楽』についても、同じことが言えるのではないだろうか

 

僕は『難関資格』に挑むにあたって、ふとそんな事を考えた

 

 

例えば、一般に『娯楽』や『趣味』換言すれば『楽しいもの』とされる

 

『ファッション』について考えてみると

 

まさにそれらは『流行』に左右され、しかも毎年変化する

 

「今年の流行」だけを完全に熟知し、現時点で『最先端』のアイテムを揃えたところで

 

それと全く同じ『コーディネート』を、十年続けていたとしたら

 

その人は「お洒落な人」と言われるだろうか?

 

あるいは「自分のスタイルを貫き通す」という意味では良いのかもしれない

 

『ファッション』の根本とは、そもそも「好きなものを身に着ける」という事である

 

それでもやはり、一つの流行を知っただけで常に「流行の最先端」に居続けられるほど

 

『ファッション』というのは、底の浅いものではない

 

会計基準』や『法律』というのは、毎年少しずつ変化するもの、と言われるが

 

『ファッション』や『流行』こそ、まさに「毎年変わるもの」ではないだろうか

 

それに『流行』については、「毎年少しずつ」でさえなく「大きく変化するもの」だ

 

四、五年前の『最先端』は、現代では「流行遅れの『ダサい』ファッション」となる

 

会計基準』において

 

例えば『減価償却の方法』について容認規定が変化することはあれど

 

そもそも「『減価償却』を認めない」なんて風に変化するとは考えらない

 

だが、ファッションにおいてはそれがあり得る

 

つまり、「『会計学』は日々変化する『会計基準』を覚えなきゃいけないから大変」

 

と言うけれど、それを言えば『ファッション』だって

 

「毎年ガラリと変わる、気まぐれな『流行』に合わせるのは大変」と

 

毎年同じ服をローテーションで着ている僕からすれば

 

会計基準』や『税法』より「流動性があって難しいもの」に思えてくる

 

 

そして、あらゆる分野において

 

それが『勉強』つまり『学問』と呼ばれる、小難しそうなものから

 

『趣味』や『娯楽』と呼ばれる、一見して簡単そうに思えるものまで

 

その「『知識の総量』は等しい」のではないかと思う

 

 

では、『勉強』と『娯楽』の何が違うのか?

 

それについては、あくまで主観的な「楽しいかどうか」の違いでしかない

 

あるいは、『勉強』というのは「何度も同じこと反復しなければならないもの」

 

だとする

 

けれど僕らが一般的に考える『娯楽』である『ゲーム』だって

 

『レベル上げ』には「何度も同じ敵を倒す」が必要があり

 

『技術』を身に着けるには、何度も同じことを繰り返す必要に迫られる

 

新しいゲームを始めた当初は、右も左も分からずに

 

何となく『チュートリアル』をこなし

 

やがて『ボス』に出くわすことで

 

そのゲームの仕組みを知り

 

『コマンド』や『パラメーター』の真の意味を理解し

 

ようやくその「強敵」を倒すことで、ある種の喜びを見出す

 

それは『勉強』と何ら変わらない

 

 

では『勉強』と『娯楽』の何が違うのか?

 

「役に立つかどうか」と答える人もいるだろう

 

だが、「何について役に立つのか?」という定義付けをした時に

 

あるいは『社会的に』とか『将来のために』とか

 

曖昧な返答しか望むことはできない

 

 

だからこそ、「何かについて『学ぶ』」ということについて

 

僕はもう少し寛容に、より広い範囲で考えてみて良いのではないかと思う

 

例えば、ギャンブルである『麻雀』や『パチンコ』にだって

 

全くやらない者にとっては、無意味な知識であるだろうが

 

そこにはそれなりに奥深い『教養』が詰まっているものである

 

それを「無意味なもの」と切り捨てるのは容易だが

 

それでは『教養』におけるある分野において、全くの『無知』になってしまう

 

 

「人生というのは、所詮死ぬまでの『暇潰し』である」

 

だからこそ、我々はより多くの

 

『無価値』とさえ思われる『娯楽』の一つに過ぎない分野にこそ

 

「面白い」と興味を持ち、そこから何かを学び

 

あるいは『哲学』にさえ通じることができるのではないだろうか

 

その方が人生はきっと楽しく、豊かなものになるだろう

 

 

「どんな髭剃りにも哲学はある」と『サマセット・モーム』は書いている

 

村上春樹』が自身の小説の中でも引用した、有名な一節だ

 

僕はその言葉が大好きだし、人生における重要な『真理』だと思っている

 

どんな『趣味』や『娯楽』にも哲学や、学ぶべきところがあり

 

一般に高尚と思われる『勉強』と呼ばれる分野と比較しても

 

それらは全く遜色のないものだ

 

だからこそ「知識の『総量』は、いかなる分野においても等しく尊いものだ」

 

と僕は考える