ひよこねこ

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『使えない』部下にイライラしない方法

 

「何度言ったら、わかるんだ!!」

「それくらい自分で判断しろ!!」

「自分で勝手に判断するな!!」

 

部下を叱責する理不尽な『台詞』の数々

 

上司や先輩に言われた経験や、自身が部下に言ってしまった経験はないだろうか?

 

誰もが最初は新人であり部下であり後輩であり

 

やがてベテランに、上司に、先輩になっていく

 

自分が上に言われて嫌だったことは、下には『絶対』言わない

 

そんな決意を固めつつも、いざ責務に忙殺され心の余裕を無くすと

 

つい同じような台詞を口にしてしまう

 

そうした経験は誰にだってあるはずだ

 

 

それについて、上司であるあなたが100%悪いなんてことはない

 

人は感情の生き物であるし、いつだって論理的に冷静でいられるはずもない

 

そうした意味では冒頭の台詞たちも、必ずしも理不尽とは言い切れない

 

 

だけどどうせなら、怒声を上げず叱責を飛ばさないほうが

 

現場の環境は良くなるだろうし、何より自分自身の精神衛生上としても良いだろう

 

かといって、部下のミスの尻ぬぐいをし、不満に耐えてばかりでは

 

やはり精神衛生上良くないことだろう

 

 

というわけで今回は、「部下にイライラしない方法」と題して

 

少しでも不満をため込まず、なるべく『イライラ』を軽減させ

 

何とか自分自身を納得させる方法として

 

僕が実践している簡単な思考法を紹介しようと思う

 

 

最初に断っておくが、僕は何も『叱る』ことが一概に悪いなどと言うつもりはない

 

もちろん、部下の今後のため、あるいは職場全体のために

 

時に叱らなければならない場面というのは、必ず存在する

 

だがその『叱り方』にしても、語気を荒げる必要はなく

 

むしろ感情を露わにせず、『諭す』というやり方のほうが

 

このご時世、何かと正しいとされている

 

けれどやはり感情を殺すというのは、いざ切迫した局面になると難儀なものであるし

 

僕にしたって、ついキツイ言い方になってしまう時はある

 

この思考法を実践したとして、全てのイライラが無くなるわけではないが

 

それでも頭のどこか片隅に置いておくと、少しはそのイライラが軽減される

 

では早速紹介させていただこう

 

 

その思考の根本となるのは、二つ

 

「他人に期待しないこと」と「他人を『駒』だと思う」ということだ

 

 

…それを聞くと、まるで冷酷非道な悪の親玉のような

 

人を人とさえ思わない、鬼畜人の考え方のように受け取られるかもしれない

 

だが、そうではない

 

 

そもそも、なぜ人に腹が立つかといえば、それは自分の想定との乖離によってだ

 

そえはあらゆる『怒り』という感情の原因として説明できる

 

他人のマナーの悪さに腹が立つのは、自分では「そうするべき」と考え

 

「おそらく他人もそう考えるだろう」という想定がいとも容易く破られることにあるし

 

ムカつく悪口や罵声というのは、まさか突かれると想定していなかった

 

自分の弱みや特徴を指摘されるからだ

 

例えば、「バカ」や「アホ」といった小学生でも思いつくような典型的な悪口に対して

 

ムキになって怒り狂う人が少ないように

 

想定できる罵声というものには、それほど腹が立たないのだ

 

逆に、「まさかそんなことを言われるなんて」と「そんな酷いことを」みたいな

 

想定を超えてくる悪口や、想定していない人物から浴びせられる罵声には

 

予期せず傷つくこともあるし、同時に『怒り』という感情が生まれる

 

つまり、確固たる『想定』があればあるほど

 

それを裏切られたときの振り幅は大きいのだ

 

だからこそ、『期待』という想定をできるだけ最小限に抑え

 

結果との乖離をなるべく小さくすることで、『裏切られた感』を無くすのだ

 

 

とはいえ、部下に期待しないというのはなにも

 

常に部下を『過小評価』する、という意味ではない

 

あくまで過度な期待を慎むということであり

 

逆に期待に応えてくれたとき、良い意味で期待を裏切られたときは

 

素直に部下の実力を認め、正当に評価する

 

それもまた、上司としての重要な役割であり

 

過度な期待をしないからこそ、より容易にできることではないだろうか

 

 

そして、二つ目

 

「部下を『駒』として考える」

 

これこそまさに、敵キャラがよく言いそうな台詞である

 

だが、ここでいう『駒』というのは無尽蔵に代えの利く

 

『使い捨ての駒』という意味では決してない

 

より具体的に言うならば、『将棋の駒』だ

 

 

例えば『麻雀』や『トランプ』のような運の要素が介在するゲームと

 

『将棋』や『チェス』のような実力のゲーム(運の要素が全くないわけではない)

 

前者と後者における違いは多々あるが、その中の一つとして

 

相手と自分との所持している駒の違い、が挙げられる

 

前者は、ゲーム全体に使用する駒(牌、カード)はもちろん一定であるが

 

何を引いてくるかは運に委ねられている

 

その点後者は、お互いに同数の同じ駒を盤上に並べるところからスタートする

 

だからこそ、将棋において『飛車落ち』などはハンデとなり得るし

 

より双方に『勝ち』の見込みのある前者のゲームのほうが、手軽でユーザー数が多い

 

 

麻雀やトランプにおいて、自分の『手役』や『勝ち筋』に絡まない駒は

 

『捨て牌』や、ときに邪魔者として扱われることがあるが

 

将棋においては、『捨て駒』という言葉も確かに存在するが

 

それはあくまで勝ち筋のための犠牲であって、無駄ではない

 

つまり将棋において、『いらない駒』というのは存在しないのだ

 

一マス前にしか進めない『歩』は、敵陣を攻めるまさに『第一歩』になるし

 

前進しかできない『香車』は、外側の攻守に『不穏な香り』を漂わせている

 

『銀』は横と後ろには行けないが、斜め後ろに下がれる『良さ』を持つのは

 

『王』と『角』以外では、『銀』だけだ

 

それぞれがそれぞれの特徴を持ち、『長所』と『短所』を持っているからこそ

 

戦略性は増し、ゲーム性が増す

 

将棋が皆同じ動きをする『駒』ばかりだったとしたら、すでにその文化は滅び

 

『天才』も『ひふみん』も現れなかっただろう

 

 

だからこそ、部下をそれぞれ特徴の違う『駒』に置き換えることで

 

それぞれの長所を生かし、短所を受け止めることができるのではないだろうか

 

『桂馬』の奇抜な動きに文句を言う棋士がいないように

 

我々もまた、棋士のように盤上の駒の良さを活かし、使い切ることで

 

仕事の成功、あるいはそれによる喜びを手に出来るのではないだろうか

 

 

そして、将棋にはチェスと違った大きな特徴が二つある

 

それこそが将棋において、人間がコンピュータにまだ完全敗北していない理由でもある

 

それは『取った相手の駒を使えること』と『相手の陣地に入ると『成る』』という事だ

 

その要素こそが、将棋というゲームをより複雑で面白くしている

 

これまで対立していた勢力の部下を、自陣の部下と同じ待遇で扱い

 

一歩ずつしか進めなかった『歩』がやがて、最強の駒の一つである『金』に成長する

 

それもまた上司の喜びであり、仕事の上での面白さではないだろうか