ひよこねこ

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一般女性が結婚相手に求める『最低限の条件』とは?

 

最近、ネットである記事を見つけた

 

「一般女性が結婚相手に求める『最低限の条件』とは?」

 

正確なタイトルは忘れたが、大体そんな感じだ

 

そして、上記のような内容の記事は世間に五万とある

 

一体どこの誰に需要があるのかは分からないが

 

需要があるからこそ、似たような記事が量産されているのだ

 

 

そして、俗物的なタイトルに釣られた方がまた一人、リンクを踏む

 

そこにはおおよそ以下のような『条件』が羅列されている

 

・年収500万円以上

・正社員

・大卒

・ファッションのセンスが良い

・身長170センチ以上

 

そしてさらに記事によっては

 

・思いやりがある

・長男ではない

 

などなど、好き勝手な一般女性の『理想』あるいは『妄想』が述べられている

 

 

これを読んだ世の男性陣は思うことだろう

 

「そんな奴いねぇよ」、「仮にいたとしても、『お前』じゃ不釣り合いだよ」と

 

そして、誰にぶつけようもないモヤモヤとした感情を抱えたまま

 

乱暴に『BS』キーを押すことだろう

 

 

だが、ちょっと待ってほしい

 

あなたは今、一体誰に腹を立てているのだろう?

 

そんな身勝手な記事を書いた著者にか?

 

いいや、違う

 

あなたがムカついているのは『一般女性』に対してだ

 

より正確にいうと、記事で挙げられた『条件』を恥ずかしげもなく

 

自らを省みることもなく、無遠慮に

 

しかも『理想』ではなく、『最低限の条件』だと言い切る

 

そんな『一般女性』に腹を立てているのだ

 

 

この現象こそまさに「『架空の誰か』にムカつく」というものだ

 

今回は、その現象について記事を書こうと思う

 

 

あなたはきっとその『一般女性』に

 

あくまで便宜上使われたに過ぎない実体を持たない存在に、次々と人格を与えてゆき

 

さらには『理想』の語られている状況を想像することだろう

 

 

昼下りの小洒落たカフェ、そこで三人の女性が

 

これまた小洒落た飲み物(やたら名前の長い紅茶)を片手に談笑している

 

話題は過去の男性遍歴、あるいは『結婚』について

 

いわゆる『恋バナ』というやつだ

 

女性たちに今付き合っている者はいない

 

あるいはいたとしても、彼女たちの理想からは程遠い

 

そして、まるで過去の栄光にすがるように

 

昔、奇跡的に一瞬だけ付き合えたイケメンの話を幾度となく反芻している

 

けれど、その元カレも彼女たちから言わせれば、全ての条件を備えているわけではない

 

やがて一人の女性がおもむろに、何度も繰り返してきた台詞を吐く

 

「どこかにいい男いないかな~」

 

すると、それにつられるようにもう一人が

 

あるいは『条件反射的』に、お決まりの問いを投げかける

 

「どんな人が『理想』なの?」と

 

そして「待ってました!」とばかりに、訊かれた女性が独壇場を繰り広げる

 

女性たちのルックスは決して悪いほうではない

 

むしろ、どちらかといえば美人なほうだ

 

ファッションにはそれなりに気を遣っているし、男ウケもするだろう

 

ひと月に一回、少なくともふた月に一回は美容院に行き

 

メイクには余念がなく、ネイルもしていることだろう

 

そしてその派手派手しいネイルから想像できるように

 

もちろん家事はほとんどしないし

 

料理も、パスタを茹でて市販のソースをかけたものを『得意料理』と呼んでいる

 

 

あなたはこう思うだろう

 

今すぐその場に突入しテーブルをひっくり返し

 

彼女たちに『現実』というものを突き付けてやりたい、と

 

 

だが、冷静になって考えてみると分かる

 

それらは全てあなたの想像であり

 

その『一般女性』を作り上げたのは、あなたの脳なのだ

 

もちろん、世の中には様々な女性がいて

 

あなたが想像したのに近い女性もいるかもしれない

 

そして、今現在そのような会合が催されているかもしれない

 

だが、それが世の女性の全てではもちろんないし、『平均』であるわけでもない

 

そして上記に挙げた『条件』とやらも、一人の女性が言ったものではないかもしれない

 

数人から数百人にアンケートを取った結果

 

その中で比較的多く挙げられた『条件』を、ただ列挙しただけのものかもしれない

 

あるいは人によっては、本心ではなく答えた者もいるだろうし

 

『条件』を『理想』と解釈して答えただけの者だっているだろう

 

 

だが、そんな背景を瞬時に想定できた人は少ないだろう

 

まるで、世の女性が寄ってたかって

 

男に理想を押しつけているように感じたことだろう

 

そして『一般女性』というただの記号に、人格と顔を与え

 

自らの作り上げた『仮想敵』にひどく腹を立てたことだろう

 

それが寄せ集めの情報であるとは思わず

 

まるで現実に存在する『人物』として扱ったことだろう

 

それこそまさに、『架空の相手にムカつく』という現象なのだ

 

 

そのような現象は、上記の例に限らず日常にいくつも見受けられる

 

何かしら凄惨な事件や事故が起きたとき、あなたは加害者の顔を想像するだろう

 

きっと一目見ただけで殴りたくなるような、あるいはいかにもな悪人面をしていて、と

 

やがて、加害者の顔が公開されると

 

「意外とそうでもなかった」という感情はさして認識されることはなく

 

「こういう奴に限って…」と今度は違うイメージに上書きされて

 

その人物の過去や普段の姿が報道されると

 

「やっぱり」とどこか納得するか

 

「裏の顔を巧く隠してやがったな」と、またイメージを押しつける

 

だが、あなたの想像した『犯人の姿』は、もはやその加害者のものではなく

 

どこにも存在しない『架空の誰か』なのだ

 

 

我々は日々、様々な情報に囲まれて生活している

 

だが当然、全ての情報を手に入れられるわけではない

 

だからこそ、不明な部分については想像で補うしかない

 

それ自体は決して悪いことではなく、むしろ生きていく上で必須の能力だ

 

『想像力』とは人類の持つ、至上の能力の一つである、と僕は思う

 

だが『想像の飛躍』が、時に弊害となる場面も決して少なくはなく

 

そして『決めつけ』は、かえって次なる『想像力』を奪うことにもなりかねない

 

 

その『一般女性』はカフェで友人たちと別れたあと、急ぎ足でケーキ屋へ向かった

 

予約していた誕生日ケーキを受け取るため

 

実はその女性には彼氏がいて、もう付き合って五年になるのだ

 

彼女の理想には程遠いけれど、それでも彼のことを愛している

 

そして数年後、彼女はその彼氏とめでたく結婚することになる

 

友人たちに祝福されながら、小さな教会で形だけの結婚式をあげる

 

彼女は幸せだけれど、夫に不満がないわけではない

 

そして、また例のお決まりのカフェに集まり

 

今度は夫の愚痴と子供への理想を語り始める

 

 

それもまた『想像』であり、『決めつけ』であるかもしれない

 

だけどどうせなら、良い想像のほうがずっといい