ひよこねこ

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あなたの『サーヴァント』のクラスは何?

 

Fate/Grand Order』略して『FGO』というゲームをご存じだろうか?

 

あるいは『Fateシリーズ』というコンテンツを知っているだろうか?

 

「『Fateシリーズ』とは、2004年発売のPCゲーム

 『Fate/stay night』からはじまるシリーズ作品の総称。

 どんな願いも叶う万能の願望機「聖杯」を賭けて、過去の英雄や伝説上の存在を

 「サーヴァント」と呼ばれる使い魔として現代に召喚する

 魔術師達のバトルロイヤル「聖杯戦争」やそれに関わる人々を描く。」

(※ピクシブ百科事典 参照)

 

今回はそんな『Fate』シリーズ、その中でもサーヴァントについての話だ

 

 

皆さんは、こんな妄想にふけったことはないだろうか?

 

「もし自分がその物語の登場人物だったならば、どんな能力が与えられるだろう?」

 

古今東西あらゆるバトル系のアニメには、それぞれ異能の力というものが与えれている

 

時にそれは『実』であったり、『剣』であったり、『霊体』であったり

 

我々の暮らす現実に存在する、「物理的法則」を曲げる能力である

 

 

そしてもちろん、そうした『能力』は『バトル』において強力な武器となる

 

そんな『異能力』に憧憬を抱いたり、「もし自分だったら…」と

 

能力の発現について、あるいはそれをどう用いるかについて

 

友人と熱い議論を交わしたり、時にはあらゆる創作物の「良い所取り」の『最強』を

 

個人的にノートにまとめたりしたことはないだろうか?

 

 

『能力』といってもその種類は実に様々で

 

強いものもあれば、一見そうでもないように思えるものまで

 

優劣や序列のようなものが存在する

 

傾向としては、主人公のそれは大抵の場合は脆弱なもので

 

けれど成長の過程で、あるいは補正のようなものが加わり

 

実は「最強」へと昇華する

 

物語の後半に登場するキャラクターのほうが、強い能力を手にしている

 

主人公の父親やそれにあたる人物は、もはや能力関係なしに強い、など

 

創作物であるがゆえの、「後出しじゃんけん」的構造なのは否めずとも

 

やはり、より強い能力、より便利な力にその人気は集中する

 

小学生の頃なんかは、誰がどの能力を持つかで取り合いになり

 

能力関係なしの武力や発言力によって、下位の能力に甘んじた方もいるだろう

 

 

先日、友人との何気ない会話の中でこんな問題が提起された

 

「もし自分が『サーヴァント』だったら、そのクラスは何か?」

 

 

ここで『Fateシリーズ』をご存知ない方のために簡単に説明をさせていただくと

 

『サーヴァント』とは「使い魔」のことであり

 

魔術師それぞれが召喚し、契約を結ぶことで『マスター』となる

 

 

と、これだけでは何を言っているのか分からないと思うので追記すると

 

要は『サーヴァント』とは『英霊』を現代あるいは、指定の時代に召喚したもので

 

我々のよく知る歴史上の『偉人』や、実在の不確かな創作上の『英雄』

 

果ては神話上の『神』に至るまで、あらゆる『英霊』を

 

『聖杯』の莫大なリソースを用いて、呼び出したものである

 

 

『サーヴァント』にはそれぞれ『クラス』というものが与えられ

 

それは当初『Fate/stay night』においては

 

『セイバー』剣士

『アーチャー』弓兵

『ランサー』槍兵

『ライダー』騎兵

『キャスター』魔術師

『アサシン』暗殺者

バーサーカー』狂戦士

 

の七クラスのみだったが、その後のシリーズで『エクストラ・クラス』として

 

『アヴェンジャー』復讐者

『ルーラー』裁定者

『セイヴァー』救世主

アルターエゴ』別人格

『シールダー』盾兵

フォーリナー』降臨者

 

など(他にもある)が追加された

 

それらのクラスは基本的に「じゃんけん」のような弱点関係になっていて

 

『セイバー』は『ランサー』に強く『アーチャー』に弱い

『ライダー』は『キャスター』に強く『アサシン』に弱い

 

のような構造になっている

 

アニメにおいては一見してあまり関係のないように思える要素だったが

 

ゲームにおいては「戦略性」について重要な鍵を握るファクターとなった

 

 

『マスター』は主にその『サーヴァント』を使役し、敵と戦う

 

例えるならば(創作物を他の創作物で例えるのは、やや気が引けるが…)

 

ポケットモンスター』のような形だ

 

 

他にも重要な要素として『サーヴァント』の必殺技に相当する

 

『宝具』と呼ばれるものがあるけれど、それについては割愛させていただく

 

 

そして、上記の議論は「自分ならどんな『サーヴァント』を使役したいか?」ではなく

 

「自分がもし『サーヴァント』だったら?」という問いかけなのだ

 

つまり「自分が『サーヴァント』として召喚されたなら、そのクラスは何なのか?」

 

いわば自分に備わる「能力」というより

 

自分というそれ自体の「能力」についての言及なのだ

 

 

もちろん、自分は「偉人」でなければ、「英雄」でもない

 

そんな自分が『英霊』として召喚されることがないのは分かっているし

 

もし万が一にも自分を呼び出してしまった『マスター』がいたとするならば

 

(基本的に『マスター』は一体の『サーヴァント』を使役する)

 

憐憫の情を禁じ得ない

 

それほどまでに弱く、何の戦闘手段も持たない自分であるが

 

そこはまあ、潜在的な何かと創作的補正が多分に加わると仮定して

 

まずは、自分の『サーヴァント』としての『クラス』について考えてみることにした

 

 

パッと思いつきで考えたのは、僕が剣道有段者であるということだ

 

とはいっても、それは学生時代のことであり、今や竹刀を握る機会も全くなく

 

現役時代に輝かしい戦歴を誇ったわけでもない

 

ただ部活の一つとしてやっていただけの事であり

 

剣の道を志した記憶が微かにはあるが、それもまた一時の気まぐれのようなものだった

 

それでも、より単純な「強さ」というものに対しての憧れは、今でも少なからずあって

 

たまに人気のない夜道で閉じた傘を持っていると、それを『宝具』に見立てて

 

振り回してみたり、突いてみたり、果てには小声で技名を言ってみたりする

 

(ちなみに僕の傘の名前は『乖離剣エア』)

 

そういう意味では『セイバー』として召喚されるのは

 

僕としてもまあ納得というか、それなりに「理想」に近いものである

 

 

だが、もう少し冷静になって考えてみると、その答えは違うことに思い当たる

 

(そもそも自分が『サーヴァント』などという妄想の時点で冷静ではないのだが…)

 

それは僕が何かと「配達」の仕事ばかりやっていたことに起因する

 

新聞配達、弁当の宅配、と僕の人生における仕事はそのほとんどが「配達員」なのだ

 

つまり、僕にふさわしいクラスは今のところ『ライダー』ということになる

 

 

だが、僕にはそれがいささか不満なのだ

 

別に運転や車が好きで、配達の仕事をしているわけではない

 

何となく成り行き上で、とくに選んだわけでもなく、気がつけばその仕事を続けていた

 

あるいは多くの人がそうであるように、生活の糧としての仕事に

 

多少の好き嫌いはあれど、そこに得意不得意や趣味の介在する余地は少ない

 

だが気がつくと、僕は少なくとも趣味で始めた「剣道」より

 

今のところ人生における長い時間を「配達」に費やしている

 

だとしたら、客観的に見て僕は「剣士」ではなく

 

「騎兵」とも呼べない「乗り物使い」である

 

 

いや、『ライダー』って!!

 

もちろん『ライダー』のクラスにだって魅力的な『サーヴァント』は沢山いる

 

強力な『固有結界』(これもまた専門用語だが、その説明は省く)を使う

 

豪快で、思わず臣下として付き従いたくなるような「王」だっている

 

 

だが僕としてはやはり、あるいは多くの中高生男子も同意見かもしれないが

 

何かこう一聴して「強い」とわかるような、腕一本で道を切り開いていくような

 

より単純な『能力』や『クラス』の方が良いのである

 

そういった意味では『ライダー』よりは『アサシン』

 

あるいは響きの格好いい『アヴェンジャー』や

 

ちょっと手の付けられない感じのする『バーサーカー』がより「理想的」なのだ

 

 

だが、そこである疑問に思い当たる

 

それは「他の『サーヴァント』たちは、果たして自分のクラスに満足しているのか?」

 

という当然の疑問だ

 

僕自身がそうであったように、ましてや後世に語り継がれるような偉人たちである

 

果たして自分の為した『偉業』や『神話』が本人たちの意図するものであったのか

 

「本当はそんなはずではなかった」とか「そんなつもりはなかった」みたいなことが

 

あるのではないだろうか?

 

 

例えば日本史上もっとも著名で、人気のある偉人の一人である『織田信長』は

 

『アヴェンジャー』のクラスで召喚されている

 

それは、信長の最期としてあまりに有名な『本能寺の変』をピックアップされ

 

『復讐者』としてのクラスが与えられたのではないだろうか?

 

それまでに為した偉業とはあるいは無関係に

 

その生涯を終えるとき、彼の胸中にあった感情は知る由もない

 

もしかすると『明智光秀』に対する復讐の怨念が渦巻いていたのかもしれないし

 

あるいは傍若無人とされる自分の最期として、当然の最期だと思ったのかもしれない

 

だが、我々が『織田信長』を思い浮かべたとき

 

そのエピソードとして、二、三番目に出てくるのが『本能寺の変』であり

 

家臣に裏切られるという最期が、まるで彼自身の生涯を象徴しているように感じる

 

そして『織田信長』が『アヴェンジャー』として顕現することに

 

「まあそういう解釈もありかな」という具合に思ってしまう

 

真相はそうでなかったとしても、だ

 

 

『歴史は勝者が作る』ものであるが

 

その『歴史を信じ、受け継ぐ』のは後世の人間だ

 

彼らは『客観性』という自己満足の中で

 

偉人たちの行動原理を解りやすいように紐解いてゆく

 

その過程の中で、あるいは偉人たちの感情や「想い」のようなものは

 

都合よく書き換えられ、省略されていっているのではないだろうか?

 

 

歴代の王たる『権力者』たちは、その「酒池肉林」ぶりや「栄枯盛衰」の体現によって

 

『狂戦士』や『復讐者』としてのクラスを与えられつつも

 

本当は『裁定者』あるいは『統治者』としての名を後世に残したかったのではないか

 

晩年にいかに堕落しようとも、あるいは不慮の事故によって道を外れようとも

 

『剣士』や『槍の使い手』として名を馳せたかったのではないか

 

『救世主』たちは群衆に祭り上げられた虚像であって

 

『降臨者』としての神憑りや『別人格』としての神格化ではなく

 

あくまで一人の人間として、民たちの『盾兵』となりたかっただけではないのか

 

 

自分の望む『理想』と、他人の願う『空想』が違うように

 

『主観』と『客観』は異なり、けれどしばしば『客観』のほうが重宝される

 

我々が過去の偉人たちに客観性を押しつけるならば

 

自分もまた後世の人間、あるいは現在の周囲の人間によって

 

都合よく書き換えられた『客観性』を甘受しなければならない

 

 

Fate』という作品が、それを示唆している作品だとは思わない

 

それとは関係なしに『Fate/Zero』は愉悦であり『Fate/Grand Order』は面白い