ひよこねこ

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「お客様から給料を頂いている」は間違い?

 

飲食店をはじめとする『サービス業』の店長や社員が

 

朝礼のときなんかに、バイトに向けて言う「決まり文句」に以下のようなものがある

 

 

 すなわち

「我々は『お客様』から給料を頂いているのだ」

 と

 

 

いくらバイトであれ、サービス業に従事する者において

 

常に心に留めておくべき『金言』であり『当たり前の心構え』であるように思えるが

 

「お金というものの本質」あるいは「価値の移転」という意味から考えると

 

やはり『間違っている』と指摘せざるを得ない

 

 

「お金」とはその『流動性』、換言すれば『交換可能性』に価値があるのであって

 

それは時には「資産」となるし、あるいは「費用」や「収入」の手段として

 

『取引』における様々な場面において、その意味を『変化』させるものだ

 

「消費者」の持つ『お金』は、使わなければその時点では「資産」であり

 

商品や役務のための対価として使用されれば、その時点で「費用」となり

 

同時に、受け取った側(企業など)にとってそれは「売上」として認識される

 

そして短期的、長期的に関わらず、一時的には企業にとっての「資産」となり

 

それを原資として、材料費、労務費、経費などの「費用」が支払われることになる

 

 

そういった観点から見れば

 

「売上」及び「利益」をそのまま、「費用」である『賃金』だと換言するのは

 

あまりに短絡的というか、過程を省きすぎている気がする

 

そんなことを言い出せば、そもそもの発行元に遡って

 

「我々は日本銀行から給料を頂いている」ということになってしまう

 

 

とまあ、『揚げ足取り』はこのくらいにしておくとして…

 

 

その決まり文句が「お金というものの本質」を表すために用いられているのではない

 

ということくらい誰だって分かる

 

あくまで比喩として、心構えとして

 

「お客様への『感謝』を常に忘れないように」という意味で用いられている

 

だとするならば、その言葉は紛れもない『正論』であるし

 

どこにも「間違いはない」ように思える

 

 

だが、果たしてそれを聞かされた「バイト」はどう思うだろうか?

 

もちろん、その『金言』を自分の胸の

 

「いつでも取り出せる部分」に置いておける者だっているだろう

 

もしあなたの店の「バイト」が皆そうであるならば

 

きっと素晴らしい店になることだろう、間違いない

 

だが実際は

 

「だからなんだ、そんなことより時給を上げてくれ」と

 

口には出さないけれど、心の内でそう思う者もいれば

 

「あくまで労働の対価として賃金を得ているのであって

 

何もせずに『頂いている』のではない」と

 

別の『正論』を用意する者だっているだろう

 

(僕が冒頭でそうしたように…)

 

 

『正論』とは正しいがゆえに、どこまでも「正しすぎる」がゆえに

 

どうしたって『反論』の術をなくさせ

 

無理な反論は論理性を失った「言い訳」に成り下がってしまう

 

かといって「『正論』だから納得できる」というほど

 

人間は器用なものではなく

 

自らの考えや行動原理を全て論理的に説明できる者はいないだろう

 

だからこそ

 

『正論』はその使い方について最大限配慮し、留意しなければならない

 

つまり、いかに「正論」であろうと

 

使われる状況、使う相手、使い方を誤れば

 

それはただ「反論」を許さないだけの、「暴論」になってしまいかねない

 

そして、そんな正論の使い方ばかりしていると、人は「付いて来て」はくれない

 

 

では上記の「お客様から給料を頂いている」という正論の扱い方において

 

その「状況」「相手」「方法」について、一体何を間違っていたのだろう

 

 

もし仮に、同じ言葉が「入社式」において「社員」に向けて

 

発せられる言葉であったならば

 

その「正論」は「納得できる考え」として理解されたことだろう

 

それは、両者の『利害』が概ね一致しているからだ

 

「社員」において、自分の収入元である「会社」の存続はまさしく死活問題だ

 

だからこそ、その「会社」の収入元である「お客様」は欠かすことのできない存在だし

 

それらの関係性を比喩した「正論」は、まさしくその通りである

 

 

けれど、それならば同じく収入元を「会社」に依存している「バイト」だって

 

『同じ考え』ではないのかと思われるだろうが、そうではない

 

なぜなら「バイト」は、「社員」に比べてその依存度が低くなる傾向にあるからだ

 

つまりは「いつだって辞めて」「別のバイトを見つけられる」という環境にあり

 

それはいわゆる『就活』に比べて『バイトの面接』が

 

いかに簡易的なものであるかを考えてみてもわかる

 

企業における『採用』について

 

「売り手市場」「買い手市場」なんて言葉がよく用いられるが

 

アルバイトにおいては、よほど時給が高く、人気のあるものでなければ

 

基本的に「人員不足」に起因する、売り手市場だ

 

 

そして、その『意識の差』が雇用形態

 

つまり「短期雇用」か「長期雇用」を原因とするものかというと、それも違う

 

なぜならば昨今、特に人手不足の叫ばれる「サービス業」においては

 

よほど人間的に問題のある者(遅刻や欠勤を繰り返す、など)でなければ

 

「短期雇用」とはいえ、実際は「長期雇用」と大差はなく

 

「学生アルバイト」ならば、「卒業」までがおよそ雇用の期限となり

 

「フリーター」ならば、その店舗の存続がそのまま期限となる

 

AIなどの発達によって『無くなる仕事』が話題になってはいるが

 

短期的な目で見れば、それによって減るのは次の「バイト募集」であって

 

今いる「バイト」がクビになることはあまり考えられず

 

そもそも「学生バイト」は、元々「卒業」までの限定期間的雇用を求めているのだし

 

歴の長い「フリーター」は、万が一「人員削減」が行われたとしても

 

自分にその番が回ってくるのは、「バイト募集」が消滅し

 

卒業する「学生バイト」を次々と見送ってからになる

 

そして「学生バイト」「フリーター」そのどちらも

 

『次のバイト』を見つけるのは、条件を事細かに指定さえしなければ

 

そんなに難しいことではない

 

 

だからこそ、「バイト」というのは

 

『企業の存続』について、それほど深くは考えておらず

 

(もちろん全員がそうではない)

 

今の「雇用先」を失うことは、そこまで深刻な問題になり得ず

 

あくまで「次のバイトを探すのは面倒」とか「また一から仕事を覚えるのは大変」

 

くらいにしか思っていない

 

そんな中で、企業の存続の重大な要素である『お客様』を

 

自分の収入元として持ち出されたところで

 

その「正論」は響かない、ということになってしまう

 

 

それにバイトにとっては「売上が上がろうが下がろうが知ったことではない」

 

というのが本音である

 

むしろ、「売上が上がる」というのは総じて「忙しくなる」ことであり

 

どうせ同じ時給であるならば、「ラクできる」方が良く

 

忙しくない方が「儲けもの」であるのだ

 

 

そのように「バイト」と雇用主である「企業」には

 

『対立』とまではいかないまでも、それなりに『利害の不一致』が存在する

 

ではその「隔たり」をいかにして無くしていくか

 

それについて考えるにはまず

 

『相手』である「バイト」の立場に立って考える必要がある

 

 

もし仮に、『時給制』ではなく『歩合制』によって

 

「バイトの給料」を決めるならば

 

バイトの『やる気』は、それなりの向上が期待できる

 

だがその場合、本来の「時給制」よりもその給料を高く設定しなければならない

 

法律において「最低賃金」というのは保証されているし

 

それを抜きにしても、最低賃金のみを保証し

 

「売り上げの増加」を評価要素として賃金にプラスするならば

 

それなりに「達成可能目標」でなければ、バイトの意欲は失われるし

 

それなりに高い「手当」でなければ

 

元々「時給が高い」別の企業を安全に「バイト先」に選ぶことだろう

 

そして、そもそも「どれくらいの売り上げ」を

 

「当人たちの頑張りの結果」として評価するのかは難しく

 

業種によっては「前年比」などで簡単に求められる数字ではない

 

 

ここで『責任』というものについて、それぞれの立場において考えてみる

 

会計学には『責任会計』という考え方が存在する

 

それについての説明は難解なため省かせてもらうが

 

要はそれぞれの職位、企業における立場において

 

どこまでの『会計的責任』を負わせるかというものである

 

(以下に示すものは『責任会計』という会計学用語的意味においてはやや外れる)

 

例えば「経営者」においては、もちろんその会社の『利益』に責任を持つことになる

 

簡潔に言えば『収益-費用=利益』であり

 

その計算式における「収益」「費用」において責任を持ち

 

その結果である「利益」について最大限の責任を負う

 

『営業利益』『経常利益』『純利益』など

 

それぞれの段階によって「利益」は認識されるものであるが

 

「経営者」においては、最終利益である『純利益』にその責任を負う

 

一方、いわゆる「雇われ店長」においては

 

「自店の売り上げ」について責任を負うべきである

 

もちろん「人件費」という名の労務費や、「材料費」を差し引いた

 

「自店の利益」についても責任を負うべきでもあるが

 

例えば「食材の高騰」など、「材料費」を圧迫する『価格差異』や

 

最低賃金の引上げ」などの、「労務費」の『賃率差異』について

 

いち『雇用者』である店舗責任者に、その責任を押し付けるのは理不尽である

 

なぜならば、雇われ店長は自ら「売価の設定」や「メニューの設定」

 

あるいは場合によっては「賃金の設定」の決定権を与えておらず

 

本部によって一方的に決められるそれらの要素を

 

「決められた費用」として、そこから生み出される『利益率』を高めていくには

 

それなりの「制約」を受けざるを得ないからである

 

そして、店舗責任者の「利益優先主義」が全面に押し出されれば

 

あるいは「利益の合理化」によって

 

「費用削減のための売り上げ最適化」が決定され

 

ひいては「会社全体にとっての損失」になりかねない

 

だからこそ店舗責任者である「店長」には

 

『純粋な利益』は求められず

 

あくまで「売上」と、そのために用いた「廃棄量を含めた材料費」と

 

「『賃率差異』をある種無視した『時間差異』」が

 

その評価に用いられるのだ

 

 

では「バイト」においてはどうだろう?

 

バイトには、上記の通り『利益』はもちろん『売上』さえも責任とはならない

 

そもそも『責任会計』という考え方は、ある種「末端」であるバイトには適用できない

 

『バイトの責任』とは何だろう?

 

それは「シフトを埋める」ということだ

 

「自らの指定された時間において、自らの労務を提供する責任」

 

それこそが、唯一バイトに与えられた責任なのだ

 

つまり『売上』に関係なく、売上を保証するために

 

費用である「労務」を提供する責任

 

だからこそ無断欠勤や遅刻は、彼らにとって重大な「責任違反」となる

 

そして、それは本来「無責任」であるはずの彼らにとって

 

重大な誓約となり、制約となる

 

「本来はプライベートに使えるはずの『時間』をバイト先に制限される」

 

それは「社員」にとっては、馬鹿らしく当たり前のことに思えるだろうが

 

彼らにとっては、本来自分の「働きたい時間」のみ働くのが「バイト」であり

 

「自由に使えるべき時間」を会社に「拘束されるのが」バイトである

 

そういった両者の考えの違いについては、一見して「埋まらない溝」であるように思う

 

 

だが、それでもバイトを雇用し続けなければならない現状

 

少しでもバイトに自分(社員として)の考え、あるいは会社にとって有益な考え

 

に近づき、寄り添ってもらうにはどうすればいいのか

 

そこに必要なのは『正論』などではない

 

あくまで『相手』に寄り添った、一見して「正論」から外れたものなのかもしれない

 

例えばこんな風に言ってみる

 

「いつも無理して、シフトに出てくれてありがとう」

 

そもそも予定がないからシフトに入ってくれているのであって

 

「無理をしている」わけではなく、自分としても「無理にシフトに入れている」

 

つもりはなかったとする

 

それでも、もしかしたらそのバイトは自分の「やりたい事」

 

「予定」とまでは言わずとも「個人的にやりたかった事」

 

「お気に入りのテレビ番組を観たかった」とか「趣味に時間を使いたかった」など

 

それらを「まあ、いつでもできるか」と我慢して

 

穴の空いたはずのシフトに入ってくれたかもしれない

 

「社員」にとっては当たり前のことかもしれない

 

けれど、当人にとってそれは「我慢して会社に尽くした」ことになるのかもしれない

 

それについて、いつもそうして「我慢させて」しまっていることに対して

 

「ありがとう」と言ってみる

 

それだけで、そのバイトは「我慢しても良かった」と思えるのではないだろうか

 

 

あるいはバイトに、その人物がいてくれることで助かったことを言ってみる

 

「○○がいて助かったよ。今日の忙しさだと○○がいないと、回せなかった」とか

 

「○○をやってくれてありがとう。本当は自分がやらなきゃいけないことなのに」とか

 

 

無意味に、無作為に「褒める」のが良いと言っているわけではない

 

あくまで自分が「助かったこと」を純粋に口に出してみる

 

そうすることで、「自分が必要とされている」ということに気づき

 

「自分がいないとダメなんだ」と思われる

 

 

『使命感』とは自ら生まれるものではなく、他人によって初めて気付かされるもの

なのだ

 

そうして「使命感」を認識したバイトはやがて

 

「自らの使命を果たすには?」と自主的に考えるようになり

 

自ら行動し、ひいてはそれが「店全体として」あるいは「企業全体として」

 

間違いなく、良い効果をもたらすことになる

 

そこには当人の目先の『利害』は含まれない

 

「時給がどうとか」「他のバイト先と比べてどうとか」

 

そんなことは一切関係なく、あくまで「店舗」あるいは「企業」を

 

『友人のようなもの』として扱い、好意からくる『一方的な利益』をもたらしてくれる

 

 

そんな相互の『利害の不一致』を考慮しない

 

「有償の行為」ながらも「無償の好意」をもたらさせる感情を

 

作為的ではなく、ごく自然に発露させる者こそ

 

「巧い上司」あるいは「巧みな経営者」であり

 

単なる「正論」ばかりを振りかざす者より

 

いくらでも「反論」を許しつつも

 

最終的には「納得させる」だけの論理を持った

 

「相手に寄り添った真理」であるのかもしれない