ひよこねこ

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「多様性」は人類の進化を妨げる要因となるのか?

 

昨今、様々な『価値観』や『考え方』が叫ばれている

 

もちろん、その『意見』自体は、現代になって突如現れた「突然変異」などではなく

 

元々、個人個人の胸の内に仕舞われていたものだった

 

だが、「前時代」の人々には、それを『発信』する手段がなく

 

たとえその機会が与えられたとしても

 

「少数派」の『主張』は、「多数派」の声にかき消され、淘汰されてしまっていた

 

 

現代において「SNS」の発達などにより、個人にも『発言』の場が与えられ

 

それが「公衆の閲覧」に供されるようになることで

 

各地に点在していた「少数派」同士が繋がり、「コミュニティ」が形成され

 

もはや「多数派」にとっても無視できないほどの、「一勢力」となるまでに至った

 

また、ネット社会の「匿名性」が作用することで

 

自らの「顔」と「名」のもとに、表立って『発表』することが憚られる内容であっても

 

「リスク」をそれなりに抑えた方法で、『呟く』ことができるようになり

 

それが広く「拡散」されることで、同じ『価値観』を持つ「非発言者」たちが

 

「孤立感」を無くし、「理解者」を得ることで

 

自らも「発言者」となる機会も増えた

 

 

そうした、いわゆる『多様性』をようやく「社会」が認識し、獲得し始めたことは

 

紛れもない「人類」における発展であり、『進化』の過程の一つであるのだろうが

 

その『進化』は、あるいは数多く存在する「生物」の中で「人類」だけが辿る

 

「少数派」の一途なのではないだろうか?

 

 

今回の記事では、生物の進化においてはかなり「特殊な例」である

 

『多様性』という進化を辿る「人類」について

 

他の多くの生物たちと比較することで、その進化の「本質」を紐解き

 

さらには「多様性とは何か?」という問いについて、考察していこうと思う

 

 

そもそも、生物における『進化』とは何だろう?

 

それは種の「保存」と「繁栄」のために欠かすことのできない「手段」である

 

多くの生物は「生息地域」という制約条件において

 

様々な「危険」や「問題」にさらされてきた

 

それは「外敵の危険」であったり、「食料確保の問題」であったりと

 

実に多種多様で、そうした危険を「回避」するために

 

はたまた問題を「解決」するために、それに対抗するために多様な進化を遂げてきた

 

ある者は、外敵の少ない「環境」で生きられる術を会得し

 

またある者は、他の種族では「食料」とならないものを「栄養」にする機能を獲得した

 

そうした「変化」はもちろん、「一世代」で成就するものではなく

 

何世代にも渡って少しずつ、変異していったものであると考えられている

 

つまりは、同種族が皆一様に「同じ方向」を向くことで

 

ようやくその「意思」が刷り込まれ、遺伝子に組み込まれることで

 

『多様な進化』と相成ったわけである

 

 

ここで重要なのは、「多様な進化」といえど

 

同じ進化を経た「同集団」においては、皆が同じ『価値観』を共有していたのであり

 

そこに『多様性』は存在しないということだ

 

換言するならば、違う「意思」や「考え」を持つ者たちは

 

それはそれで、全く別の種族としてのコミュニティを形成し

 

もはや「別の生物」として派生していったということだ

 

つまり生物の進化においては、その「一様性」こそが最大の鍵であり

 

「多様性」は、「分類学」においてしかその意味を為さないのだ

 

「私は空を飛べるようになりたい」

「俺は泳ぐのが好き」

という価値観の違いは、同種族においては認められず

 

その価値観を元に別々の進化を遂げたならば

 

それらは「異種族同士」とみなされることになる

 

(あるいはそれもまた、人類の勝手な「価値観」の押し付けなのかもしれないが)

 

 

そうした多様性を認めない「一様な進化」というものは

 

人類においては理解し難いものである

 

それは今のところ、人類の体の特徴や機能に明確に表れているものではないからであり

 

例えば、音楽愛好家の聴覚が他の者に比べて優れていると

 

一般に思われることはあっても、その機能が子や孫の世代に

 

確実に受け継がれるとは限らない

 

なぜなら、子や孫自身にもそれぞれの「価値観」が存在し

 

親とはまた違った「進化の過程」を歩むこともしばしば、だからである

 

そして、違う価値観や考えを持つ者たちを「異種族」として扱う

 

それは人類にとって「禁忌」であり、それをすることを我々は

 

『差別』と呼ぶ

 

つまり我々人類は、生物においては「一様性」こそ進化の本質であるにも関わらず

 

自らそれを否定し、「多様性」を含んだ自種族として容認しているのだ

 

 

次に、再び「生物の進化における『目的』とは何か?」について考えてみようと思う

 

前述の通り、それは「種の保存」であり「種の繁栄」のためである

 

より分かりやすく換言するならば、「多く子を残し、個体数を増やしていくこと」

 

に他ならない

 

だからこそ、成体になるまでに多くの危険が伴う種は

 

卵を多く生むことで、確率における「分母」を増やし

 

あるいは「子育て」によって、自らの「子」を守り、生き抜く術を伝授することで

 

「種の保存と繁栄」という、最大目的を達成しているのである

 

それはもはや、多様な生物進化における唯一の「共有事項」であり

 

異種族においても「多様性」を認めない部分でもある

 

 

それに引き換え、人間の「進化の目的」は何だろう?

 

例えば、「子供を産まない夫婦関係」が存在するという

 

「子を作れない、同性同士の恋愛」があるという

 

もちろん、この記事においてそれらの考えを持つ者を否定する意思は全くない

 

ただあくまで、生物における人類の「特殊性」として挙げているだけだ

 

本来は性別によってその「役割」が明確に規定されるはずが

 

「男が外で働いて、女が家事をする」という古いしきたりを

 

「平等ではない」とする

 

「異性と生活するのは面倒そうだから、結婚はしない」という考えの者がいる

 

それらは生物の進化の歴史においては、およそ考えられない「特殊」なものだ

 

むしろ、真っ先に否定され、淘汰されていいという考えまである

 

 

だが、我々人類はそんな進化と逆行するとまで思える「多様性」を認めている

 

それこそが生物史における、人類の「特殊な例」であり

 

他の生物にはない『進化』なのではないだろうか?

 

 

どうしてそのような進化を人類が遂げるに至ったか

 

その理由はもはや明確である

 

我々人類は他の生物にはない「高い知能」を獲得している

 

(それもまた人類の傲慢に過ぎないのかもしれないが)

 

道具を扱い、情報量の多い「言葉」や「文字」を発明することで

 

自らの意思や考えを「一子相伝」ではなく、後世の多くの者たちに残す術を会得した

 

あるいはそれこそが人類における最大の『進化』と呼べるのかもしれないが

 

とにかく我々が、そうしたピンポイントな「伝達手段」を得ることで

 

それと同時に、「個人の意見」を発信する術を得たといってもいい

 

そして、道具の扱いはやがて「文明の発展」へと繋がることで

 

我々は「天敵」を増やすことなく、その生息範囲を拡大していった

 

さらに、科学と知識の発達は、我々に「毒」を持つ生物すら食べようと

 

珍味として嗜もうという、生物としてはおよそあり得ない「進化」をもたらせた

 

そうして、種族としての天敵もなく、食料すらも自足するようになった我々人類は

 

やがて、種族としてのこれ以上の「進化」を止め

 

代わりに「多様性」を獲得していったのである

 

 

何度も言うように、それは生物の進化の歴史においてはあり得ないことであり

 

かなり「特殊な例」である

 

我々はそれを、高い知能と外敵や食料に脅かされることのない

 

まさしく「生態系の頂点」という地位を獲得することで享受した

 

『多様性』とはまさに、人類だけが持つ生物としての「優位性」であり

 

人類だからこそ獲得することのできた「特殊性」であり

 

人類の叡智が結実したことによってようやく表れた

 

人類独自の『進化』の一途であるといえるのではないだろうか