ひよこねこ

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『高畑充希』は演技上手い?下手?

 

『演技派女優』と聞いて、皆さんが思い浮かべるのは誰だろう?

 

古今東西、『若手』『ベテラン』、様々な女優がいる中

 

今や女優のみならず、『元アイドル』や『歌手』も

 

映画やドラマ、舞台などに活躍の場を広げ

 

中には『主演』を張る人物も少なくない

 

 

昔は『アイドルの演技』といえば

 

それはそれはヒドイもの(もちろん全員がそうではない)で

 

台詞は棒読み、身振り手振りは大袈裟のオンパレードで

 

それこそ見れたものではなく(それはそれで、ご愛嬌なのだが)

 

男女問わず、役者ではないタレントが演技に手を出すことを快く思わない

 

そんな風潮の時代もあった(今でも少なからず、そういった意見はある)

 

 

だが最近では、インターネットを始めとする

 

様々なエンターテイメント・コンテンツの普及のおかげもあり

 

誰もが気軽に映画やドラマ、いわゆる『演技』を観る機会が増え

 

また『演技』というものを勉強できる環境や

 

その方法が醸成されてきたこともあって

 

素人とはいえそれなりに、少なくとも見るに堪えないほどの

 

『大根役者』ぶりを披露してしまうタレントは、減ってきていると思う

 

ちょうど音楽というものが気軽に聴けて歌える環境が増えたことで

 

今の若者に『音痴』の人が減ってきているのと同じように

 

 

『演技』というのは簡単そうに見えて、やはりとても難しく

 

一朝一夕で身につくものではなく、単に技術だけで人の心を動かせるものでもない

 

何より『経験』が重要であり、その『経験』とは芝居の実績だけを指すものではなく

 

その人の『人生経験』であったり

 

生きている上での『糧』や『厚み』なども、大きく作用する

 

そういう意味では、やはり芝居経験も人生経験も豊富なベテラン俳優が

 

『演技が上手い』のはもちろんのことであるが

 

どの分野の世界にも、ときに『天才』と呼ばれる者が現れるように

 

芝居の世界のおいても、やはり各世代にそういった人物は存在する

 

そして、若手で『演技派女優』といえば、数々の名前が挙がるだろうが

 

その中の一人として、まず間違いなく名前が挙がるのが

 

高畑充希』さん、だろう

 

 

大きな瞳をクリクリとさせながら、コロコロと幾つも表情を変化させ

 

時に観客を不安にさせ、時には安堵させ

 

そうして気がつくと、物語の世界にいつの間にか引き込まれている

 

彼女の演じる、一癖も二癖もありながらもどこか憎めない

 

どこまでも愛らしいキャラクターに心奪われた方も多くいるだろう

 

数々の映画やドラマに出演し、主演級をいくつも務めあげ

 

その作品自体の評価も決して低くはなく

 

もはや『若手』と呼ぶにはあまりに堂々とした、安定感のある演技を披露している

 

 

だが、そんな中…

 

高畑充希』について、以下のような意見が聞かれることもある

 

高畑充希は、演技が下手」

「どの役も全部同じ演技」

「演技がわざとらしい」

 

人の好き嫌いは様々であり

 

『高評価』の多いYou Tubeの動画には必ず『低評価』も存在するように

 

多くの人が注目するものには、必ず『好き』と『嫌い』が混在する

 

『ファン』を持つ者には、いわゆる『アンチ』がつきものであるが

 

多くのアンチが、感情論に走る中で

 

こと『高畑充希』の演技の評価については、必ずしもそうとはいえない

 

なぜなら、その意見は実に当を得、的を射ているからだ

 

 

確かに彼女の演じている役、あるいはキャラクターは

 

おおよそ何パターンかに分かれる

 

僕はその全部を観ているわけではもちろんないが

 

その中のいくつかを観ただけでも

 

確かに「これとこれの役柄はほぼ一緒」だと感じたことはある

 

では、やはり高畑充希は少ない演技のパターンしか持たない

 

『演技の下手な女優』なのかというと、僕はそうではないと思う

 

そして今さらながら断っておくが

 

今回の記事は『高畑充希』の演技が上手いか?下手か?

 

それを論じ結論を述べる意図のものではない

 

そして、彼女の演技を否定するものではもちろんなければ

 

彼女の演技を称賛し、その同意を求めるものでもない

 

むしろ、ここでの論点は

 

なぜ彼女の演技が「どれも同じ」と一部で評されるのか

 

その一点のみについて、僕なりの分析をしてみたいと思う

 

(『演技』というそのものについての、僕なりの考えや分析はまた違った機会に)

 

 

それでは、「同じ演技」と言われる理由について

 

早速、僕なりの結論を述べようと思う

 

それはごく簡単なことで

 

「同じ演技を求められるからだ」とその一言に尽きる

 

 

映画やドラマ、舞台というのは『芸術作品』であることはもちろんだが

 

その一方、『商業的』な側面も切り離せない宿命にある

 

個人の劇団ならばともかく

 

それなりに膨大な製作費を投入されるテレビドラマや映画というのは

 

興行収入や視聴率を無視するわけにはいかない

 

特に昨今、そういったエンターテイメント・コンテンツの客離れが進んでいる中

 

プロデューサーはスポンサーの顔色をうかがい

 

ディレクターはプロデューサーの意見をないがしろにはできない

 

それもまた仕方のない現実である

 

つまり作品を創る上で、もはやヒットは宿命づけられているのだ

 

おいそれとコケるわけにはいかない

 

だからこそ、有名小説や大人気漫画の『映像化』が次々と行われているのが現状だ

 

 

万人受けするかわからない新作の脚本を用いるより

 

別のコンテンツではあれど、ヒットした作品をベースにする方が

 

より解りやすく期待値を上げることができる、それもまた当然の原理である

 

そしてキャスティングにおいてもそれは同様で

 

ただ演技の上手い俳優を使うより、人気のある美女やイケメンを起用するほうが

 

確実に一定数の客を掴むことができる

 

それを映画の衰退と見るかは自由であるが

 

エンターテイメントと商業が切り離せないものである以上

 

何度も言うようだが、それは仕様のないことでもある

 

 

そして『俳優』を起用する上で

 

もしあなたにキャスティングの全決定権があったとするならば

 

あなたはどう配役を決めるだろう?

 

自分のお気に入りの俳優を起用する、という意見もあるだろう

 

それはそれで悪くないと思う

 

いかに有名作品を原作に使おうが、オリジナルの脚本であろうが

 

いかに人気俳優を起用しようが、マニアックなキャスティングにしようが

 

結局は蓋を開けてみなければ、ヒットするかどうかなんて分からない

 

そういう意味では、自分の感性のみを当てにするというあなたは

 

クリエイター向きであるのかもしれない

 

 

あるいは緻密なマーケティング戦略を立て

 

ある意味では自己を殺し、観客の需要に応えることを全てとする方は

 

経営者、ビジネスマン向きなのかもしれない

 

 

どちらのタイプも一長一短、どちらが優れているというものでもない

 

ではあなたが仮に、「演技の上手い俳優」を起用したいと考えたとする

 

そもそも『演技が上手い』というのは何だろう?

 

ここぞという泣きの場面できちんと涙を流せる人物か

 

あるいは不自然じゃない、『自然な』演技をできる人物か

 

その判断基準はもちろん人それぞれであるだろう

 

ということは、あなたがいくらこの俳優は「演技が上手い」と思ったとして

 

観客は同じ判断基準で評価するかといえば、またそれは別問題ということだ

 

だとしたら、「演技が上手い」というのはいわば相対的な評価であり

 

そして、エンターテイメントが商業的な側面を持つ以上

 

どうしたって観客の意見が重視され、それがある種の絶対性を持つことになる

 

 

ではあなたは、どうやって「演技の上手い」俳優を起用するのか

 

それはその俳優の過去の作品を観て決めざるを得ない

 

そして、その俳優の『演技』を見て判断する

 

同時にあなたがクリエイターならば

 

自分の作品の中で彼ないし彼女が、どんな役回りを演じるかを想像するだろう

 

そうしていざキャスティングするにあたり、その俳優が演じる脚本を書くにあたり

 

どうしたって過去の作品で見出した『個性』を払拭することはできない

 

そして現にそれは、自分以外の観客からもそれなりに高く評価されている

 

あなたはきっと自分の作品においても、その俳優に「似たような演技」を求めるだろう

 

そうしてその俳優は、あなたにも次のクリエイターにも、あるいは観客にも

 

いつの間にか同じような役柄、同じような演技を酷使されることになる

 

 

俳優は表現者ではあるが、その仕事は『職人』に似ている

 

つまり需要が先に決まり、そこに自分の個性、技術を当てはめていく

 

もちろん仕事を選ぶこともできるだろうが

 

自分が「こういう演技をしたい」から、その仕事が決まるわけではなく

 

他人の創る作品の中で、自らの仕事を発揮する

 

そこは画家や音楽家とは異なる部分だ

 

だからこそ、同じような役柄を求められれば多少の幅は与えられようとも

 

基本的には、その範囲内で立ち振る舞うしかなく

 

それがそのまま世間の評価となる

 

かつて『木村拓哉』さんが、全ての役柄において「キムタク」を求められたように

 

自ら発信できるものがないわけではないが、やはり需要が先行した仕事なのだ

 

 

そして、『俳優』という一般的にはかなり特殊な世界の話ではあるが

 

それは、あなたの『仕事』においても、ある一つのテーゼを与えてくれる

 

つまり『需要ばかりに終始していては、あなたの個性や付加価値は失われる』という

 

当たり前のようでいて、実はとても重要な事実だ

 

仕事というのは(物理学においての『仕事』という意味ではもちろんない)

 

自らの労力の対価に報酬を得るという性格上

 

どうしたって需要が先行してしまう

 

だからこそ「求められたことをやる」というのが、その大部分を占める

 

けれど、もしあなたが需要にのみ供給を与えているのなら

 

あなたの仕事は何年経っても、「同じことの繰り返し」にしかならず

 

あなた自身のスキルを磨くことも、新たなる需要に応えることもできなくなってしまう

 

 

もちろん、需要がある以上「同じことの繰り返し」というのはそれもまた

 

誰かにとっては必要不可欠な供給であることは間違いない

 

だが、時には違うスキルを磨き、いつもとは違った仕事に挑戦してみるのも

 

あなた自身のために、必要なことなのかもしれない

 

あなたにはその自由が与えられているのだから

 

 

ちなみに、僕はごく個人的に高畑充希さんの演技が好きです

 

『植物図鑑』、演技を勉強したいという方にはお勧めの一作です