ひよこねこ

ブログ初心者が100記事で収益化を目指す!!

『M-1』王者は、どうしてテレビで売れないのか?

 

THE MANZAI 2019』が昨日、12月8日(日)夜7時からフジテレビで放送された

 

今年の注目株は何といっても、10年ぶりに新作漫才を披露した『アンタッチャブル

 

テレビで観る機会も多い売れっ子の二人だが、揃ってテレビに出るのは

 

まだ記憶に新しい『全力!脱力タイムズ』での復活劇をのぞけば、実に久しぶりで

 

実力派のベテランコンビがセンターマイクを挟んで立ち

 

一体どんな風に我々を笑かしてくれるのだろうと

 

期待に胸を弾ませていた方々も多いことだろう

 

 

アンタッチャブル』は今さら説明するまでもなく、山崎と柴田による二人組で

 

山崎(その名前よりむしろ『ザキヤマ』という呼び名のほうがしっくりとくる)は

 

いつも適当な返しとくだらないボケ(誉め言葉)を乱発し

 

人のネタをよくパクリたがる人として

 

加藤…いや、柴田のほうは、なぜかやたらと動物に詳しく

 

動物に関する豆知識を教えてくれる人として

 

それぞれが個性の立ったキャラクターで活躍している

 

 

先に述べたように、近年コンビでの仕事がほとんどないせいか

 

あるいは多くの売れっ子がそうであるように、ネタを披露することが少なくなるせいか

 

今となっては知らない人もいるかもしれないが

 

彼らは『М-1グランプリ 2004』の王者でもある

 

 

『М-1』といえば、年末に開催される最大級の「漫才」のコンテストであり

 

お笑いファンのみならず、普段はあまりバラエティを観ないという人でも

 

まず知らない人はいないであろう、というくらいに著名な番組だ

 

昨年、2018年の王者は『霜降り明星』で

 

彼らはこの一年、様々なバラエティ番組にまさに引っ張りだこだった

 

 

さて、そんな『M-1』を始めとする、数々のお笑い賞レース

 

キングオブコント』、『R-1ぐらんぷり』、『NHK 上方漫才コンテスト』など

 

コント、漫才といった、いわば芸人の本職である「ネタ」で、栄光を勝ち取った者たち

 

の間で囁かれる、ある「苦悩」をご存知だろうか?

 

 

それは「賞レースの優勝者は、なぜか売れない」というジンクスだ

 

汗と涙の滲む努力の末に、ようやく手にした栄冠

 

これでやっと、長い下積みと貧乏から解放されて、一躍人気者へ

 

と思った矢先、チヤホヤされたのは賞レース直後だけで

 

その後のテレビの露出は思ったより増えなかった

 

歴代の王者たちが自虐まじりに、そのようなエピソードを話しているのを

 

聞いたことがないだろうか?

 

そして、似たような話として最近よく聞かれるのが

 

キングオブコント』において、なぜか二位ばかりがもてはやされる

 

という、これもまた理不尽で悲しいジンクスである

 

 

では一体なぜ、このようなことが起こるのだろう?

 

 

たとえば、スポーツの大会などを見てみると

 

当然のごとく、成績上位者のほうがフィーチャーされる機会が多い

 

オリンピックについても、銀メダルより金メダルが話題となり

 

(もちろん自国の選手であることが前提で、競技による人気にも左右されるが)

 

レコード大賞』や、今は無き『有線大賞』といった音楽の分野においても

 

芥川賞』や『本屋大賞』といった小説の分野においても

 

やはり「一位」が、順当にその恩恵を受けることとなる

 

 

それなのに、ことお笑いの分野においては

 

二位や三位、あるいはそれ以下の順位者が一位の露出を上回ることが

 

しばしば起こり得る

 

それはどうしてなのだろう?

 

 

※『M-1グランプリ歴代王者』(ザ・テレビジョン参考)

 

2001『中川家

2002『ますだおかだ

2003『フットボールアワー

 

2015『トレンディエンジェル

2016『銀シャリ

2017『とろサーモン

 

 

以上にあげたものは、『M-1』の歴代王者の初代から数えて三組と

 

直近の三組(先に紹介した2018を除く)である

 

このリストを見てわかるように、少なくとも『M-1』については

 

一位が売れない、なんてことはけっしてなく

 

統計的に見るまでもなく、「二位以下優位のジンクス」は当てはまらない

 

どの王者も、知名度のある大人気コンビばかりで

 

一時期の人気の上下はありつつも、少なくとも

 

「人気の高低差ありすぎて、耳キーンなるわ!」なんてことはない

 

 

では、なぜ『一位が売れない』なんて

 

根も葉もないジンクスが囁かれることになったのだろう?

 

 

それについては「芸人」という職業柄、あるいは立ち位置に起因する理由も多いだろう

 

一般的に笑いを取る手法は無数に存在するが

 

その一つとして、「自分の立場を下げる、あるいは一旦持ち上げ急激に落とす」

 

ことによって、その滑稽さで剽軽者を演じるというものがある

 

バラエティ番組でのトーク展開においても

 

「自分たちは○○の王者で、そのおかげで人気者になりました」と話すより

 

「自分たちは○○の王者なのに、これといって人気がありません」と話したほうが

 

より簡単にオチがつくことになる

 

だから芸人としては、順当な待遇より不当な扱いの方がよりオイシイのだ

 

 

そして、もう一つの理由としては「一位だけが売れるとは限らない」ということだ

 

そもそも芸人にとっての「売れる」とは一体なんだろう?

 

ミュージシャンでいえば、CDの売り上げ枚数、ライブの動員数などで

 

比較的、客観的な数値で指標を視覚化することが容易だ

 

けれど、芸人についてはそう簡単にはいかない

 

確かに、DVDの売り上げ、コントライブの動員数など

 

数字で表される客観的情報がないわけではない

 

しかし、我々が芸人の人気を概算するときに用いるのは

 

それらの数字的指標ではなく、「テレビでどれだけ見るか」という

 

より複雑で、曖昧な指標に頼らざるを得ない

 

テレビにおいても、視聴率という数字上のデータは存在し広く知られてはいるが

 

そのデータはいわば副次的なものであり、さらにそれは多くの要素が絡みあう

 

(たとえば、企画自体の面白さだったり、時間帯だったり)

 

もので、視聴率だけで一芸人の人気を判断することは難しい

 

 

そして、その「テレビでどれだけ見るか」という曖昧な基準で判断される

 

芸人の売れた、売れないの評価こそが

 

今回の表題と密接に関係している

 

 

そもそも、よく考えてもみてほしい

 

M-1』は何の大会で『キングオブコント』は何の大会であるかということを

 

それらは、それぞれ漫才とコントの大会である

 

つまり、その王者や決勝進出者たちは、漫才やコントのスペシャリストたちなのだ

 

では次に、我々がよく観る番組、それらは一体どんな内容の番組だろうか?

 

芸人たちがネタを披露する番組がないわけではない

 

けれど、いわゆるゴールデンタイムに放送される番組は

 

大別すると、その多くが「トークショー」である

 

そこでは、ある一定の流れやテーマによってトークを展開し

 

MCからの振りに答え、場を盛り上げていくスキルが求められる

 

 

そう、漫才やコントとはある種違う競技なのだ

 

芸風によって、漫才を得意とするコンビもあれば、コントを得意とするコンビもある

 

漫才が達者だからといって、コントが巧みだとは限らず、もちろんその逆もあり得る

 

それと同じで、漫才やコントができるからといって、トークが上手いかといえば

 

それはまったくの別問題なのだ

 

 

かといって、それらに共通する部分がないわけではない

 

間の取り方、声のトーンなど、「面白い」と思わせるために必要な技術やセンスは

 

そこに明確なものはないにせよ、共通する部分はいくつも存在する

 

けれど、やはりそれらは別物であり

 

バラエティのおバカキャラ

 

漫才のボケよりは常識人でなくてはならず

 

エピソードトークの登場人物は

 

コントのキャラクターよりは現実味を帯びていなければならない

 

 

たとえば、あるコントの父親がいたとして

 

コント内でのボケをトークとして話すと以下のようになる

 

 

「ほら、よく昔のドラマとかで殴るふりをするとき、拳に向かって『ハァ~』ってするでしょ?ウチの父親、あれ『フゥ~』って息を吹きかけるんですよ。おかしいでしょ?熱いのかって!お前の拳は『おでん』なのかって!」

 

 

これを聞かされて、多くの人は「それ本当?造ったでしょ?」と思うことだろう

 

その通り、コントというのは作られた虚構であり、嘘の現実なのだ

 

ボケ役が少し変な、日常的に見ればだいぶ変な人物を演じ

 

ツッコミ役が、観客目線の一般常識人としての視点を持ち

 

心境を代弁することによって、共感とカタルシスを得ることができる

 

そうして「笑い」という万人の感情へと帰結するのだ

 

そして、ネタの中では許されていたフィクションも

 

それがノンフィクションのものとなれば、許容の範囲はぐっと狭まり

 

より現実的な、もう少しはまともだけれどやはりズレているという

 

絶妙なラインが求められることとなる

 

 

それはもはや、同じ「お笑い」という大枠の中でも全く違うジャンルである

 

同じスポーツでも、サッカーと野球が全く違うルールの競技であるように

 

 

そして、さらに難しいのは、ネタの中では感じられなかった

 

芸人自身のポテンシャルがバラエティにおいて花開くということもある、という点だ

 

コントの設定としてはあり得なかった、ただ名前を間違えられるというボケに対して

 

自分の名前を大声で叫ぶ、というツッコミで、定量的な笑いが得られることもある

 

ネタの中では鋭いツッコミを冴えわたらせつつも

 

その実、本人こそがまさに突っ込まれるべき存在であることもある

 

そのように、笑いの手法は多種多様で

 

ボクシングや柔道を漫才やコントとするならば

 

バラエティは総合格闘技であり、これまでは日の目を見なかった者たちが

 

大いに台頭してくることが往々にしてあるということだ

 

 

ミュージシャンは曲が素晴らしく、演奏技術や歌唱力

 

あとはライブMCなどが優れていれば、それだけで普遍的な評価を得られ

 

小説家はたとえトークがつまらなくても

 

紡ぐ物語や描く世界観が美しければ、他に何も求められず

 

スポーツマンはその種目や競技において優れていれば

 

基礎的な運動能力の何かが欠けていても問題はなく

 

政治家は尖った発言さえしなければ、任期を無事終えられる

 

 

それに対して、芸人という職業は本来自分たちが研鑽を重ねた技術でないところで

 

評価され、「消えた」などと後ろ指をさされる

 

何と因果で、難しい職業なのだろう

 

 けれど、それもそのはずで「笑い」という人類だけが持ち得る

 

反射的反応に積極的にアプローチ(しかも、そのツボは人によって異なる)し

 

その結果として対価を得るという職業が簡単なものであろうはずがないのだ

 

そう考えると、テレビでよく観る芸人というのは

 

それぞれが、その狭き門を潜り抜けたバラエティのスペシャリストたちなのだ

 

 

と、ここで一つ疑問が残る

 

先に述べたように、バラエティでの活躍がネタの完成度と必ずしも比例しないとなると

 

数多ある賞レースは、それ自体が人気番組であることの他に

 

芸人にとってはその受賞に何の意味も見いだせないのだろうか?

 

結論からいうと、そんなことはけっしてない

 

その理由については次回の記事で解説することにする