ひよこねこ

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コロナウィルスの保菌者忌避で、小学校の「バイキン扱い」を思い出した

 

正直、今この話題について触れるべきかどうか、ここ数日迷い

 

触れるにしても一体何を語るべきか?

 

自分の無責任な発言によって、デマが拡散されたり

 

特定の誰かを、不用意に傷つけたりするのは避けたかった

 

 

各団体が被害の「拡大防止」の対応に迫られる中

 

つい先日、首相から全国の小中高校の「臨時休校」が要請され

 

国内のテーマパークが次々と「臨時休園」を発表した

 

まさに「緊急事態」と呼ぶべき状況において

 

僕にできることいえば、「人混み」を避け

 

「手洗いうがい」を徹底することくらいだ

 

 

それでも僕は今この記事を書こうとしているのは

 

「LINE」のタイムラインで、「ある投稿」を目にしたのがきっかけだった

 

その投稿者は、例の「クルーズ船」の乗客だった

 

とはいえ、僕の直接の知り合いではなく

 

顔も知らず、本名さえ知らない人物である

 

あくまで僕の知人の知人であり、僕と直接的な関係性はない

 

それでも、そこに書かれた内容は

 

まさに「被害者」としての悲痛な叫びだった

 

 

ここで、その投稿者の文章を引用したり

 

その人物がどんな内容を語っていたのかについて

 

深く掘り下げるつもりはない

 

Twitter」などではなく、タイムラインに投稿しているということは

 

それほど不特定多数に拡散を希望しているわけではないのだろうし

 

そもそもプライバシーの問題もある

 

だから、僕がこの記事で語る内容は

 

あくまで、その投稿を目にしたという「きっかけ」によって

 

僕が勝手に考え、思ったことを書いているだけで

 

その投稿者の意見を「代弁」するものではなく

 

むしろ、投稿者からすれば「的外れ」な意見であるかもしれない

 

ということは、最初に断っておく

 

 

では、いよいよ本題に入らせて頂くが

 

医療関係者ではなく、『コロナウィルス』についての

 

詳しい知識や予防法を有しているわけでもない僕が

 

語れることは、やはり限られている

 

だから、僕は『コロナウィルス』そのものについて書くのではなく

 

あくまで「感染症」が流行する中

 

「感染」を恐れながらも日々を送る

 

人々の心理と行動原理、そしてそこから生み出される

 

ある種の「別の病気」について主に述べさせて頂こうと思う

 

 

今回の「コロナウィルス」に限らず

 

広義の意味での「病気」において、最も恐ろしいのは

 

それが「目に見えない」ということだ

 

もし仮に「病原菌」というのが目に見えるほど大きく

 

例えば「昆虫」くらいの大きさであったら

 

(それはそれで恐怖を感じるだろうが…)

 

少なくとも、「予防」はより簡単になるだろう

 

だが当然の如く、目には見えない

 

だからこそ、我々はその「存在」が身近に迫ってきているのかさえ確認できず

 

「目に見える」全てについて、疑ってかからなくてはならない

 

「この場所」にはどれだけの「菌」が蔓延しているのか?

 

「この人」は「保菌」しているのではないか?

 

そんな目視確認できず、実証のできない状況が

 

さらに人々を不安にさせ、疑心暗鬼に追い込む

 

 

こうした状況下で、僕は表題にも書いた

 

ある「体験」を思い出した、それは

 

小学校で流行った「バイキン扱い」だ

 

何も僕の通っていた小学校だけでの、特別の事例などではなく

 

それに近い「遊び」あるいは「いじめ」は、どこの小学校で起きていることだろう

 

ある日突然、一人のクラスメイトが

 

「感染者」ないしは「保菌者」として扱われ始める

 

(もちろん、小学生はそんな難しい言葉は知らないだろうから

 

むしろ、その者自身を「バイキン」として扱う場合も多い)

 

その者に接するだけで「病気」が「ウツる」と言われ

 

周囲の者はわけも分からぬまま、その人物を避ける

 

積極的な「媒介者」が、すすんでその人物に「タッチ」し

 

その触れた手を振りかざして、周囲の者を追い回す

 

接触者」は楽しんで、あるいは無意識にやっている遊びなのだろうが

 

対象にされた当事者の心に深く傷を残す結果となることは、言うまでもない

 

 

ここでさらに問題なのは

 

普段はいじめに積極的に加担することのない「傍観者」も

 

「媒介者」に追い回されることで、それから逃げてしまうということだ

 

いくら小学生であろうと「○○菌」なんてものが本当に存在するなどとは思っていない

 

(もしその人物の名前が冠せられるならば、その者は「発見者」であり

 

人類の医学や科学における発展の功績を評価されるべきだ)

 

それでも、つい「その手」を避け、逃げ出してしまう

 

なぜなら、その手に触れられたことで、今度は自身も「感染者」となり

 

「隔離」され「拒絶」される、『不当な理由』ができてしまうからだ

 

 

僕は今回の「クルーズ船」の乗客の置かれている状況について

 

そういった『小学校のいじめ』のような不当さを感じた

 

 

もちろん、反論はあると思う

 

その第一の論理として予想されるのは

 

『コロナウィルス』は現実に起きている問題であり

その「病原体」は架空のものではない

 

ということだろう

 

そして、それはまさしくその通りで

 

「○○菌」に感染(?)したところで発症することはないが

 

「コロナウィルス」に感染すれば、あるいは死んでしまうことだってある

 

だからこそ、その予防に全力を注ぎ

 

感染の可能性がある者を避けるのは当たり前のことだ

 

確かに何ら論理に瑕疵のない『正当な理由』である

 

 

だが、当事者にとってそれがやはり『不当な扱い』であることに代わりはなく

 

我々が忘れてはいけないのは

 

人は『悪』を振りかざすときより、『正義』を振りかざした時の方が 

より残酷に、非道になれる

 

ということだ

 

「いじめ」についてもそれは同様であり

 

「アイツがウザいから」とか「アイツがキモいから」など

 

客観的に見て、それが明らかに自分の「主観」であり

 

自分に少なからず「落ち度」がある場合においてより

 

周囲を巻き込み、周囲の「賛同」を得られたと錯覚し

 

だからこそ自分は大衆の「代表者」であると、『正当さ』を主張し始めた途端から

 

より「深刻化」する

 

さも自分が「悪者」を排除する、「正義の味方」であるかのように振舞う

 

それこそが、より危険な兆候であり

 

もはや、その者を止める手段は数少ない

 

 

それと同じ心理と行動原理が、大衆にもたらせられているのではないだろうか?

 

あくまで自分は「ウィルス」から身を守りたいのであって

 

「保菌者」を排除したいわけではない

 

ある者はそう言うかもしれない

 

けれど、「ウィルス」自体が目に見えない以上

 

「征伐」の矛先は、どうしたって「保菌可能性を持つ者」へと向けられる

 

自分自身だけではなく、愛する者や家族にもその危険が及ぶ可能性があるとなると

 

さらに警戒は強められ、強大な「大義名分」を得ることになる

 

 

思えば、これまでの人類史において幾度となく芽生えてきた『差別意識』は

 

自分と、その周囲の「守るべき者たち」を保護するために生まれた

 

生物としての「生存本能」なのかもしれない

 

だからこそ、この問題もまた根深く

 

そう簡単に人々の意識から消し去れるものではないかもしれない

 

あるいは「コロナウィルス」が完全に収束し

 

人々の危機管理意識の中から完全に忘却されるまで

 

「保菌可能性者」に対する『差別』にも似た『不当な扱い』は続くのかもしれない

 

 

だからこそ我々は、その「当事者たち」に

 

もしかすると自分もなっていた可能性があり

 

いまだにその可能性があることを十分に理解し

 

自分も「当事者」自身の立場に立って考えてみることが大切なのかもしれない

 

 

病気から身を守ることは大切であり、その予防には全力を注ぐべきだが

 

最も人類の命を奪ってきたのは「病原体」や「自然災害」ではなく

 

「人類自身」であることを、深く心に刻んでおくべきだ