ひよこねこ

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「転売ヤー」は、断罪されるべきなのか?

 

『コロナウィルス』による影響が深刻化、長期化する中

 

薬局、スーパー、コンビニの店頭から、次々と姿を消したものがある

 

それは「マスク」を始めとする医薬品だ

 

 

「需要」と「供給」という経済の基本原理からすれば

 

それらの『品薄』もまた、当然のことのようにも思えるが

 

すでに周知の通り、そこには個人の「消費活動」とは異なる

 

「ある原因」があり、その原因を引き起こした「ある者たち」の存在がある

 

 

転売ヤー』という言葉を聞いたことのある方も多いだろう

 

「『転売』という行為」と「『バイヤー』という人」とが合わさった造語である

 

そして、その「行為」あるいは「行為をする人」が

 

近年、メディアやネットを中心に取り上げられ

 

その是非について、盛んな議論が繰り広げられている

 

 

そもそも「転売ヤー」という言葉が登場し

 

「転売」という行為が問題視され出したのは

 

今回の「コロナウィルス」が流行するよりもずっと前のことだ

 

「コンサートチケット」や「グッズ」、「ゲーム」など

 

需要に対して供給が著しく追いつかない

 

あるいは限定的である『商品』において

 

その『付加価値』に目を付けた一部の者たちが

 

「個人の使用」ではなく、「経済的利益の獲得」を目的として

 

購買活動を始めたことが発端だ

 

 

当時からそうした行為、あるいは「商売」については

 

他の消費者から様々な批判の声が寄せられていた

 

それが今回「医薬品」という、ある意味では人命に直結する「商品」について

 

同じく「転売」が行われたことで、国民の不満と怒りはピークに達し

 

ついに先日「マスクの転売」を禁止する法案が検討されることとなった

 

 

だが、ここで理解しておかなくてはならないのが

 

今回の規制は「国民生活安定緊急措置法」という

 

どちらかといえば「例外的」な

 

「特別状況下」における法律を根拠にしているのであって

 

「転売」という行為そのもの取り締まるものではないということだ

 

転売ヤー、爆死(笑)」「転売ヤー、ざまぁ」など

 

ネットでは、ついに「憎むべき敵」に「正義の鉄槌」が振り下ろされたような

 

ある種の「勧善懲悪ムード」が満ちている

 

確かに「マスクの転売」をしようとしていた一部の「転売ヤー」たちは

 

経済的打撃を被ったかもしれないが

 

彼らは「『マスクの転売』を規制されたなら、次は別のものを」と

 

次なる「商材」に目を向けるだろうし

 

当然のことながら『転売』という行為そのものが撲滅されたわけではない

 

 

そして、過去の記事でも散々取り上げてきたことだが

 

一部の者たちの行動を例にとって

それを同じ枠組みの別の者に簡単に適用することはできない

 

今回の件についていえば

 

「人命にも関わる『マスク』を、しかもこの非常事態下で

 

自分の利益のためだけに利用するなんて、『転売ヤー』は非人道的だ」

 

と思った方も多いだろう

 

それによって「『転売ヤー』は憎むべき人類の敵だ」と

 

彼らを一括りにして、カテゴライズしたことだろう

 

だが、転売ヤーの全員が今回の「マスク騒動」に関わっているわけではない

 

むしろ、自らもその行為を「悪」と考え、同じ転売ヤーである彼らのことを

 

我々と同じように、糾弾する姿勢を取った者も多いはずだ

 

にもかかわらず、我々はいつの間にか「転売ヤー」と聞くと『全て同じ』だと

 

考えてはいないだろうか?

 

その思考は『差別』と何ら変わりのないものであるということを

 

我々は肝に銘じなくてはならない

 

人をその行為やカテゴリーだけで、一概に判断することはできないのだ

 

 

少し話が逸れたが…

 

今回の記事はさっきから何度も出している

 

転売ヤー」について、その行為は断罪されるべきなのか?

 

というテーマについて、論じていこうと思う

 

最初に言っておくが

 

僕は此度の「マスクの転売」については

 

それがれっきとした「商行為」であるとかないとか以前に

 

まさしく論外であると思う

 

僕のその意見は、何も法律や規制を論拠にしたものではなく

 

単なる個人的な「感情論」であり、そこに根拠と呼べるものはない

 

そして、医薬品以外の「商品」の転売についても

 

やはり僕は「本当に欲しい人の手に渡らなくなる」や

 

「本当に欲しい人が必要以上に高い出費をしなくてはならなくなる」といった

 

やはり「感情論」によって、いまいちその行為を「善」だと認めることはできない

 

 

それでも、自分と相対する考えや行為についても

 

やはり、その『正当性』を論じることは

 

「公平性」あるいは自身の「勉強」として大事なことだと、僕は考える

 

だから僕はこの記事において、あくまで「公平な視点」を持って

 

「転売」というものについて、述べていこうと思う

 

転売ヤー」を批判する目的や、逆に擁護するという目的で

 

この記事を書いているわけではない、ということをどうかご理解いただきたい

 

では早速、始めていこう

 

 

まず、「『転売』自体が規制されるような法律がないのか?」

 

について、考えてみよう

 

それについては主に三つの理由が挙げられると思う

 

・「転売目的」なのか判断することが難しい

・自分にとって「不要なもの(不要になったもの)」の売買を禁止するべきか

・「正当な商行為」としての一面を持つ

 

以下で、順番に説明していこう

 

・「転売目的」なのか判断することが難しい

 

これについては、まさにそのままだ

 

ある「商品」を「買う」という行為について

 

その目的をただちに合理的に算定することは難しい

 

「商人」は誰しも「消費者」としての一面を持つ

 

そのどちらも日常的に「買う」という経済的活動を行うが

 

果たしてそれが「仕入れ」なのか「消費」なのかを判断するには

 

その者の「趣味嗜好」、「継続性」、「資金力」について

 

総合的に検討しなくてはならない

 

つまり当人にとっては「消費」のつもりであっても

 

「大量購入」が場合によっては、「仕入れ」とみなされることもある

 

逆に「仕入れ」という明確な意思があったとしても

 

当人が「自分が欲しいから買った」と言えば、それまでなのだ

 

例をあげるなら、本屋やおもちゃ屋で行われている「一番くじ」など

 

そのコンテンツをこよなく愛し、それなりの私財を投じても構わない

 

と考えている者にとっては、いわゆる「ロット買い」も

 

あくまで個人としての「消費」である

 

他人にいくら「転売目的だろう」と推定されようとも

 

ただちにそれを転売目的と「みなす」ことはできない

 

だからこそ、その判断は難しく

 

店側はあくまで「転売目的禁止」という注意書きを出すことくらいしかできない

 

 

・自分にとって「不要なもの(不要になったもの)」の売買を禁止するべきか

 

一つ目が「仕入れ」か「消費」かについて言及したものであるならば

 

これについては、あくまで「消費」として購入したものが

 

当人にとって「必要」か「不要」かについて言及したものだ

 

だがもちろん、当人にとっては「不要」になったからこそ売るのである

 

そして、「必要」から「不要」への『価値の移行』は

 

当人にしか分からないことである

 

最初から個人の消費において「不要なもの」を買ったのか

 

あるいは時の経過によって「不要なもの」になったのか

 

それを判断するのはやはり難しい

 

例をあげるなら、人気アーティストの「コンサートチケット」など

 

購入当初は「行きたい!」と思っていたものの

 

やむを得ない事情や予定によって、「行くことができない」状況になったとする

 

個人的な事由による「チケットの払い戻し」はなかったとして

 

であれば、第三者にそれを売ることで自らの「損失」を取り戻すという行為は

 

果たして「転売」といえるのだろうか?

 

 

ここで、反論もあるだろう

 

もし本当に「不要」になったのなら

 

「自分が元々支払った額面で『売る』べきだ」と

 

そうであれば「転売目的」であるとは言えない

 

自分が被るはずであった「損失」を相殺するべく

 

「同じ金額」で『売る』ならば、単なる「消費の受け渡し」であり

 

「それ以上の金額」で『売る』ならば「転売」だと

 

その意見はもっともである

 

だが、そこにも反論が生じる可能性がある

 

 

当人がそのコンサートに行こうとするにあたって

 

すでにホテルの予約を終え、旅行券を手配済みだったする

 

当然それにはキャンセル料が発生する可能性もあるし

 

旅費の払い戻し等についても「満額」とはいかない場合もある

 

あるいは、友人などを誘い

 

「一緒に行ってくれるなら、チケット代の一部は自分が出す」

 

と言っておきながらも、結局友人だけは行くことになり

 

自分が当初掲示した額を、付き合い上仕方なく出さなければならない場合など

 

それによって自らが被る「経済的損失」を埋めるため

 

少しばかり「欲張った」として、果たしてそれをただちに「転売目的」と

 

断じることができるだろうか?

 

先の例にあげた「一番くじ」の「ロット買い」についても

 

くじの性質、販売の特性上、どうしたって「同じもの」が当たってしまうわけで

 

それを「くじ単体」の価格で売るのか、それとも「賞」のランクによって

 

売却価格に多少の差をつけるべきか

 

それは難しい問題である

 

なぜなら、「くじ単体」で買った者では

 

本来得られなかった「経済的価値」を受け渡すことになり

 

それは「くじを引く」という行為そのものにおける

 

「娯楽性」を差し引いたものであるのかもしれないが

 

当人にとっても、「ロット買い」をすることで

 

その「娯楽性」はただちに失われたのと同義で

 

やはり納得できないものである

 

だからこそ「市価」より高く掲示されたからといって

 

その目的を「転売」と断じることは一概にできないのである

 

・「正当な商行為」としての一面を持つ

 

そして最後にこれについてだが

 

これは「転売」という行為についての「商行為」としての正当性によるものである

 

そもそも世の中の多くの「商品」は「転売」によって流通している

 

「製造元」から「問屋」が仕入れ、それを「一般消費者」に販売することで

 

経済は成り立っている

 

我々消費者はそれによって、わざわざ販売元に出向くという手間をかけず

 

「継続的大量購入」によるディスカウントの恩恵を享受している

 

 

もちろん、ここにも反論はあるだろう

 

転売ヤーの扱う「商品」は、そのほとんどが「市場価格」による仕入れであり

 

我々はその商品を「適正価格」で買う機会があった、ということだ

 

それを「値下げ」するならまだしも、「値上げ」するのはけしからん、と

 

だが、やはりこの点においても議論の余地はある

 

そもそも「市場価格」、「適正価格」というのは何だろう?

 

それは「メーカー小売希望価格」であったり「流通価格」であったりと

 

元々「誰か」によって一方的に決められた「値段」だ

 

「原価」を「売価」にしたのでは、もちろん販売元に「利益」が上がるはずもなく

 

そこには「付加価値」という要素が含まれる

 

それは「販売コスト」であり、「手数料」と一般に呼ばれるものだ

 

ではそれらが「正当な商行為」とされ、転売が「不当な商行為」とされる

 

その違いは一体どこにあるのだろう?

 

 

さらにいえば、「株」や「債権」、「デリバティブ」といった取引は

 

そもそも「転売」がその商品の本質となっている

 

値上がりしたことで、その「商品」ないしは「権利」を売買して利益を得たとして

 

それを「不当」と断じられることはない

 

 

以上のことから、「転売」という行為はあくまで

 

購入後もその商品が「市場価値」を保ち続け

 

「限定的価値」によって、それが引き上げられることによって

 

起きる問題といえる

 

そして、「市場の独占」的な要素が加わることでさらに加速する

 

だが、転売ヤー同士の「横のつながり」は強固なものではなく

 

あくまで「個人」としての購買活動により、結果的にそうなってしまうのであって

 

そこに「一グループの独占」を適用することは難しい

 

 

もしも、国民的人気「RPG」のように

 

どんな場合においても、「売却価格」は「購入価格」の『半額』とするならば

 

我々の「消費活動」、あるいは「経済活動」はもっと単純明快であり

 

そこに議論の余地はない

 

だが、それだと販売元である「武器屋」や「防具屋」がただ一方的に儲ける

 

まさに『独占市場』が出来上がるのは必至だ

 

 

我々にできることは今のところ

 

「『転売ヤー』から買わない」という

 

ごく当たり前の結論であり、最終的にはそこに行き着くことになる

 

 

転売ヤー」という相手の立場に立って考えてみることで

 

ほんの少しは、『経済』というものについて

 

それを法律によって規制することの難しさと

 

それを断行することによる「不自由さ」について考えて頂けたのならば

 

この記事の「市場価値」はそれなりに高まるというものである