ひよこねこ

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結婚において『愛』と『お金』、どっちが大切?

 

『結婚』という、男女問わず人生において重要な「通過点」であり

 

ある種の「到達点」であり、「ゴール」とさえ呼べるものを語る上で

 

必ずといって俎上に乗せられ、問題とされる「二大要素」が

 

「愛情」と「資金力」であり、すなわち

 

結婚において、『愛』と『お金』はどちらが大切か?

 

という命題である

 

『結婚』というテーマを扱うときに、必ずといっていいほど取り上げられ

 

街頭インタビューや雑誌のアンケートなんかにも頻繁に訊かれ

 

世の女性たちにとっても、欠かすことのできない話題である

 

そのどちらを選択するかで、まるで回答者の「人格」や「人生観」

 

さらには過去の経験や生い立ちさえも明らかになってしまうような

 

そんな、ある種「哲学的」な問いかけとさえ思えてくる

 

 

けれど、この問いについては少々「欠陥」がある

 

それは、この『対比』が正確性と厳密性に欠け

 

全く「異なるもの」を無理やり、同直線上で比較しているという点だ

 

 

まず『数量と測定』においてだが

 

「お金」というのは物質的なものであり、その多寡を容易に算定することができる

 

銀行残高は目で見ればわかるし、物価のそれなりに安定した国であれば

 

その変動をとりあえず無視して、「基準」を設定することもできる

 

強いて問題を挙げるならば、その「基準」が人によって違い

 

それによって同じ金額であれど、その「価値」が異なるということくらいだろう

 

 

それに比べて、「愛」というのは感情の一種であり

 

当然のことながら「不可算」なものであり

 

その多寡はあくまで、数量的な基準によるものではなく

 

「ある」か「ない」か、あるいは「大きい」か「小さいか」という

 

漠然とした主観的な「概算」による判断である

 

つまりその測定において、そもそも「数量的可視化」は不可能であり

 

「○○より好き」「○○より嫌い」という比較こそあれど

 

そこに「基準」を設定することは本来ナンセンスなのだ

 

 

次に、『定義の曖昧さ』においてだが

 

『愛』も『お金』も、そのどちらも人生において重要なものであるのは間違いない

 

だからこそ、その二つの言葉には多くの「同義語」や「類義語」が存在する

 

『愛』はその種類において区別されることもあれば

 

区別されたそれらを「一つのもの」として扱う場合もある

 

上記の問いにおいてはもちろん、「恋愛」におけるそれなのだろうが

 

それにしたって立場や関係性が変われば、「家族愛」などと容易に形を変える

 

そして、恋人間の愛情と家族間における愛情が全く別のものであるかといえば

 

そんな事はなく、それらは一部置換可能であり、変動可能なものだ

 

 

『金』についてもそれは同じで

 

上記の問いについては、主に「資産」を指すのだろうが

 

「資産」は「費用」の前段階であり、「収益」によって形成されるものだ

 

それは『愛情』と同じく、流動的なものであるし

 

微分的観点で、それらを定義することはやはり難しいのだ

 

 

そして最後に、『過程と結果』において述べるなら

 

『愛』というのはすなわち『過程』であり

 

『金』というのは『結果』という見方ができるだろう

 

つまり、まず前提として「結婚したい」という願望があって

 

『愛』はその前段階、あるいはその過程によって形成されるものであり

 

『金』はあくまで結果として、その判断の基準となるものである

 

すなわち、それらは本来「不可分」なものであり

 

容易に切り離して、考えることのできないものなのだ

 

 

それでも、なぜこのような「対比」がいまだに議論され

 

あたかもそれらが「対義語」であるかのように偽装されるのかというと

 

それは上記の問いが

 

『理想』と『現実』を対比したものだからだ

 

 

「結婚」というある種の『幸福』、そこには「理想」と「現実」とが内包されている

 

そしてやはり本来「不可分」であるはずのそれらを

 

強引に「二つに分けてみる」という考えが

 

問いの「本質性」を担保しているのだ

 

だからこそ、容易に『愛』と答える者は「空想家」であり

 

容易に『金』と答える者は「現実主義者」であるというレッテルが貼られ

 

つまり、この正解のないように思える問いかけに対する唯一の「正答」は

 

そもそも「答えを出さない」か「悩んだ末にどちらかの回答をする」

 

という、どちらかになってくる

 

 

さて、ここで『金』というものについてもう少し深く考えてみる

 

(『愛』について掘り下げるのは僕には無理だ)

 

「結婚」についてのみならず、人生の様々な面において

 

『金』は重要なものであり、時に「制限」の要因となり得る

 

『金』とはつまり、価値の体現であり視覚化である

 

「お金が大好き」という者がいたとして

 

彼ないし彼女は、たとえば

 

「一万円札に使われている紙、この手触りがたまらない!」とか

 

「五百円玉のこのフォルムが最高にカッコいい!」とか

 

「一円玉のこの光沢が美しい!」などと言っているわけではない

 

あくまで、資産としての『貨幣』を気に入っているのだ

 

つまり、あらゆる『価値』に変換可能かつ、風化によって失われない

 

その『交換可能性』と『半永久的持続性』を重視し

 

あくまで比喩的に「お金が大好き」と言っているのだ

 

 

つまり『お金』の価値とは、対価として支払い何かを得ることで初めて

 

『幸福』を生み出す、一つの『手段』にすぎないわけである

 

そして、その『手段』はいかようにも代替可能であり

 

たとえば、金を使わなくても「楽しいこと」は体験できるし

 

逆にいくら金を積もうとも、場合によっては「つまらない」体験となる

 

そして、「誰と使うか」によって

 

やはりその価値と可能性は大幅に変動する

 

 

だからこそ「結婚」について考えるとき

 

単に『愛』と『金』とを強引に分割して考えるのではなく

 

そのどちらも、あくまで自分の『幸福の手段』として

 

想像し、選択し、あるいは工夫していくことが

 

よりあなたを『結果』に結びつけるのではないだろうか